『マジック・ランタン』の真意

 さて、ここからさらに深掘り。『マジック・ランタン』について、私なりに、もう少し考察してみたいと思う。

日本の工芸品建設, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

 みなさんは「ランタン」とは、と問われるとどのようなものを思い浮かべるだろうか?

 一般的に「ランタン」は、多角柱もしくは円柱状で側面がガラスなど透明な囲いによって、中心部の炎や電球を保護している灯のことを指す。持ち運んだり、吊り下げるように持ち手が付いたもの、また、広くは街灯や提灯、行灯もこの「ランタン」に分類されることになる。

 そう言われると、『マジック・ランタン』について、こう考えたくならないだろうか。

 さすがレンゾ先生。この《メゾン・エルメス》が建つこの地の街並みはかつて、ガス燈=ランタンが立ち並んでいたという銀座の歴史もしっかりファサードデザインに取り込んだんだな、なるほど、そう考えるとガラスブロックを採用したのも、煉瓦造だった銀座の建築をモチーフしていたからかもしれない、と。

 しかしである。確かに、この説明も全くの見当違いではないとは思うのだが、私はこれではレンゾ・ピアノのいう『マジック・ランタン』のイメージや意図を完全に理解したと言えないのではないかと考える。

 なぜそう思うのか。

 その根拠は、この建築のファサードのディテール、地面近くの下端部や、地下鉄出入口の側面図の納まりに現れている。これらの部分、よく見てみるとファサードのガラスブロックは通常の施工方法のように「積まれている」のではなく、地面から浮いている、つまり「吊るされている」のがわかる。

 ということは、レンゾ・ピアノはこの《メゾン・エルメス》において、重力に従って「積み上げた」重厚感のある建築ではなく、重力に逆らって「吊るされた」浮遊感のある建築を表現したかったのではないか、と私は考える。

 そうしてさらに詳しく見てみると、この《メゾン・エルメス》のガラスブロックの表面は、少しシワの寄ったような加工がされ、半透明になっており、それ薄い紙、まるで和紙のようにも見える。

 そうなると、この建築でレンゾ・ピアノが意味した「ランタン」は街灯でも行燈でもなく、むしろアジア各国で見られる願いを書いて空に飛ばす「天燈」をイメージしたのではないかとさえ思えてくる。

 もしかしたらレンゾ・ピアノはこの《メゾン・エルメス》を銀座という文脈を超越し、アジアという文脈に位置付けていたのかもしれない。

取り除く, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 さらに深読みして、北棟と南棟の間の中庭に飾られた、新宮晋による風のモニュメントが『宇宙に捧ぐ』というタイトルであるのも、夜空に美しく舞い上がる『マジック・ランタン』をイメージして付けたのでは、と想像してしまうのは私だけだろうか・・・。

 と、ここまでのランタンをめぐる解釈はあくまでも私の勝手な想像である。ガラスのファサードが吊られたのは、日本の法規や構造的な制約から「吊るさざるを得なかった」かもしれないし、文字通り「ガヴロッシュを纏った」建築を表現した結果かもしれないし、その意図やプライオリティは残念ながらわからない。レンゾ・ピアノに会って話せる機会があったら是非ともその真意を聞いてみたいところだ。それは飛躍し過ぎと冷笑されるかもしれないが、ただ、このようにも深く考察できるというのは、《メゾン・エルメス》がいかに多層的な意味、「物語」を持ち得る作品なのかということの現れではないかと思う。それはまさに読み応えのある傑作であることの証明として。


 

 先に紹介した『名画は嘘をつく』では名画が125作品も紹介されており、今では続編も何冊も発行されている人気シリーズになっている。本当に木村泰司氏の知識量の多さには脱帽である。私の連載はその数に遠く及ばずまだ16回・・・紹介したい建築作品はまだまだあるのだが、執筆する時間がなかなか・・・という言い訳はやめておこう。これからもがんばって、みなさんにたくさんの建築の『物語』をご紹介したいと思う。将来は『東京建築物語』から『日本建築物語』さらには『世界建築物語』へと、『マジック・ランタン』が高く舞い上がる夜空の如く、夢だけは大きく・・・。