大谷 達也:自動車ライター
プライベートコースがブーム
スポーツドライビングを愛するエンスージャストの間で、サーキット走行が静かなブームとなりつつあることをご存知だろうか?
身近な例でいえば、ポルシェが木更津にオープンした「ポルシェ・エクスペリエンス・センター東京」はその代表例だろうし、フェラーリやランボルギーニなどを販売するコーンズが南房総に開設したTHE MAGARIGAWA CLUBのことを知っている読者も少なくないはず。どちらも、純粋な意味でのサーキット(レーシングコース)ではないが、「サーキット並みの安全性が確保されたクローズドコースでスポーツドライビングを満喫するための施設」というコンセプトは共通している。
つまり、サーキットを走るのは「安全にクルマの限界を試す」ことが目的であって、ライバルと速さを競い合うレースに参戦することとは大きく意味が異なる。そうしたレースを目的としないプライベートコースの建設は世界的なブームとなっていて、一説には世界中で20ヶ所ほどの建設が計画もしくは検討されているという。
メルセデスAMGのヒット作『AMG GT3』
そうした「レースを目的としないサーキット専用車」を市販する機運も、複数のスポーツカーブランドの間で高まっている。
なかでも、そうした活動にもっとも熱心なブランドのひとつがメルセデス-AMGである。
ルイス・ハミルトンとともにF1グランプリで数々の栄光を勝ち取ってきたメルセデス-AMGは、レーシングカーを市販するカスタマーレーシングと呼ばれる分野でも多くの成功を収めてきた。彼らのレーシングカーは、安定した速さを誇るいっぽうで耐久性や信頼性が高く、さらにはアップデートを無闇に行なわないため、リーズナブルなコストで好成績が期待できるブランドとして世界中のレーシングチームから厚い信頼が寄せられているのだ。おそらく、カスタマーレーシングの代表例といえるGT3レース(日本でもスーパーGTやスーパー耐久の一部として開催されている)でもっとも多くの販売台数と成功を収めてきたブランドがメルセデス-AMGだろう。
そんな彼らが、GT3のような純レーシングカーにくわえて「レースを目的としないサーキット専用車」の分野にも進出し始めたことは、ある意味で当然の流れといえる。
メルセデス AMG GT トラックシリーズを体験
そのきっかけとなったのが、2022年に発売されたメルセデス-AMG GT トラックシリーズ(以下、「トラックシリーズ」と表記)である。これは、ロードカーとしては最高峰のパフォーマンスを誇るメルセデス-AMG GT ブラックシリーズをサーキット専用車両にモディファイしたもので、55台が限定販売された。
ロードカーをベースとすることで「扱いやすさ」にも配慮したトラックシリーズは、実際に目の当たりにするとレーシングカーそのままの出で立ちで、サーキット走行に馴れていないドライバーはやや尻込みをしたくなるかもしれない。けれども、これこそがサーキット走行を安全に、かつリーズナブルなコストで楽しむために必要な装備と仕様なのである。
反対に、純粋なロードカーでサーキット走行を繰り返せば、タイヤやブレーキの消耗が激しいうえに性能が安定せず、万一アクシデントが起きた際にドライバーを保護するという面でも純粋なレーシングカーには及ばない可能性がある。やはり、サーキットで発達してきた装備や仕様には、それなりのしっかりとした裏付けと理由が存在しているのである。
今回は「レースを目的としないサーキット専用車」の世界を垣間見るため、イタリアのモンザ・サーキットでまずはトラックシリーズに試乗してみた。
発進でこそ慎重なクラッチ操作が必要になるものの、いざ動き出してしまえばステアリングの裏側に設けられたシフトパドルでギアチェンジを行なえるため、ドライビングに集中できる環境が整っているのは嬉しいところ。そのほか、操作面でロードカーと大きく異なっているのはブレーキペダルの感触だが、サーキット走行を安全にこなすためには、これくらい大容量のブレーキシステムが必要となるのは議論の余地がないところ。したがって、その性能をフルに引き出すためには全体重をかけなければいけないことには「慣れるしかない」のが現実。もっとも、シートポジションを適切に設定できれば、腰を支点にしてブレーキペダルを踏み込めるので、肉体的な負担は大幅に軽減される。この辺は、経験豊富なレーシングチームやインストラクターのサポートを受けるのが、いちばんの近道だろう。
もっとも、そういった操作感覚は、早ければ10分ほどで身体に馴染んでくるはず。そして20分ほどの走行枠が終わる頃には、スリックタイヤで満足にサーキットを走ったことのない私でも、アンダーステアやオーバーステアの感触が掴めるようになり、限界に近いコーナリング性能を引き出すことができた。そのときの満足感は、高性能なロードカーを征服したときとはまたひと味違ったもので、自分がレーシングドライバーの仲間入りをしたような喜びを味わえるはずだ。
さらに本格的な『GT2 プロ』の世界はエグゼクティブの社交場
続いてメルセデス-AMGは、トラックシリーズよりもさらに本格的なサーキット走行が楽しめる「レースを目的としないサーキット専用車」を先ごろ発表した。それが、メルセデス-AMG GT2 プロ(以下、「GT2 プロ」と表記)である。
トラックシリーズとの最大の違いは、GT2 プロがメルセデス-AMG GT2と呼ばれる「ホンモノのレーシングカー」をベースに開発された点にある。それだけにサスペンション・パーツもレース用に開発された専用品が数多く採用されているが、だからといって「扱いにくいのではないか?」と心配に思う必要はない。なぜなら、GT2と呼ばれるレースカテゴリー自体が「ジェントルマンドライバー」と呼ばれるアマチュアドライバーを対象としたもので、扱いやすさの点ではトラックシリーズに優るとも劣らないレベルに仕上げられているからだ。
今回は、GT2 プロのベースとなったメルセデス-AMG GT2にも短時間ながら試乗したが、そのカッチリとしたフィーリングは、まさにレーシングカーならではのもの。とはいえ、神経質な挙動は一切示さなかったので、こちらも安心してサーキット走行を堪能できるだろう。
このGT2 プロでサーキット走行を満喫するために誕生したのが、AMG エリート・レーシング・サークル(ERC)と呼ばれるメンバーシップである。これは、メルセデス-AMGのカスタマーレーシングとして世界最高峰の実力を誇るGMR(レースにはGruppeMの名でエントリー)の手で運営されるもので、そのメンバーになると、AMG ERCメンバーだけのために実施される特別な走行プログラムに参加できる。
しかも、この走行プログラムは、GT3レースの頂点といっても過言ではないGTワールドチャンピオンシップの開催中に実施されるのだ。つまり、鈴鹿サーキットや富士スピードウェイといった日本でもお馴染みのサーキットだけでなく、ヨーロッパの名門コースを走るチャンスも手に入るのだ(詳細は現在、検討中)。
しかも、AMG ERCはメンバーにただ走る機会を提供するだけでなく、プロフェッショナルなレーシングチームを髣髴とする装備をガレージ内に用意。しかも、1台1台のマシンに専属のメカニックが配備されるほか、プロドライバーによるコーチング、さらにはプロのエンジニアリングによるセッティング・サポートなども受けられるのだ。くわえて食事などのホスピタリティも充実。まさに、プロフェッショナルドライバー並みの待遇でサーキットを走れるのである。
AMG ERCのメンバーになることには、もうひとつメリットがある。
世界で20台だけが限定販売されるGT2 プロは1台あたり税抜きで7000万円を越えるほど高価な車両。したがって誰にでもおいそれと買える代物ではないが、それゆえに、この種のクラブのメンバーに国際的に活躍するビジネスマンが少なくないことも事実である。そうしたメンバーがともにサーキットで汗を流すことで友情や信頼関係が芽生え、やがてそれが新たなビジネスの種になることは、他のブランドが運営するクラブでも少なからず見受けられること。実は、AMG ERCを運営するGMRのオーナー自身も国際ビジネスマンとしての顔を持っており、AMG ERCが世界的なエグゼクティブたちの特別な“社交場”となることを強く望んでいる様子だった。
なお、GMRは日本人のために限られた台数のGT2 プロを確保しているので、AMG ERCのメンバーになるチャンスがまだ残されているのも楽しみなところだ。