文:金子 浩久
アラン・ドロンを観せる映画
先日、NHK・BSでフランス/イタリア映画の「サムライ」(原題はLe Samourai)を放映していたので久しぶりに観てしまいました。
中学生の頃に、やはりどこかのテレビ局で放映されて以来、今まで何度も観ています。フレンチノワール映画の巨匠ジャン=ピエール・メルヴィルが監督するアラン・ドロン主演の1967年のカラー作品です。
パリの古くて小さなアパルトマンの一室が、ドロン演じる一匹狼の殺し屋ジェフ・コステロのアジト。ドロンはここに戻り、眠り、ここから“仕事”に出掛けていきます。
この部屋で生活しているのにもかかわらず、殺風景を通り越して冷たく厳しいものにしか見えません。壁に装飾や手入れは施されておらず、家具や調理道具などは数少ないのですが、あるべきところに整然と置かれ、乱れや汚れなどが見当たりません。
独身男の家なのですから、もっと雑然としていても構わないのに整然としています。棚の上に見えるミネラルウォーターの瓶と吸い続けているジタンの青い箱もきれいに並べられているほどです。コステロが心を許す対象はカゴに入れて飼っている1匹のカナリアだけです。
己を厳しく律するサムライのように生きているコステロの姿勢と心の内を、この部屋は表現しているのかもしれません。
1本の映画を、「この作品は、“俳優を観る”映画だ」と紹介したり、批評したりする言い方があります。ストーリーや脚本、撮影など映画の楽しみ方はさまざまですが、俳優の魅力や演技を鑑賞の第一目的とする場合です。
さしずめ、「サムライ」はアラン・ドロンの美貌で観せる映画です。しかし、またシトロエンDSを観せる映画でもあるのです。
『サムライ』の中のリアルなDSの姿
DSは、冒頭から登場します。コステロがパリの街に路上駐車しているDSを盗むのです。その盗み方は単純なのですが、どこかの広くはない道端なので、歩行者や他のクルマも引っ切りなしに行き交っていて、警官や持ち主に見付かってしまう恐れがあります。
この時代のパリだからなのでしょうか、DSの持ち主はドアロックをせずに離れていってしまいます。持ち主が立ち去っていくのを見届けたコステロは、素早く運転席に座ってエンジンを掛けようと試みます。
上半身を動かさず前を向いたまま、目玉の動きだけで緊張感を表現しているのが見事で、ここから作品に引き込まれてしまいます。
物語の後半に入ると、再び盗難車を手に入れるために別のDSを同じやり方で路上で盗みます。どちらも、ナンバープレートを違法に付け替えるために、中心部から外れた小さな工場に入れてシャッターを閉めます。今まで何度も同じことを依頼し、請け負い合っている工場主とは犯罪者同士なので、ほとんど言葉を交わしません。
前後のプレートを付け替え終えると、コステロは受け取った書類をトレンチコートのポケットに無造作にねじ込むと、さらに工場主に右手を差し出します。別の引き出しから取り出された拳銃を受け取ると、スーツの内ポケットから札束を渡します。労いや感謝の言葉もありません。
「これが最後だ」
お前との取り引きは、今回で終わりだという意味です。
シャッターを開けて、バックで表に出る時に段差を乗り換えたDSは大きく上下動します。DSのハイドロニューマチックサスペンションは、その後のCX以降のものと較べて、特に左右輪で同時に段差を越えた時にボディを大きく上下動させる様子が見て取れます。
CXやその後のXMなどにも引き継がれていた大型シトロエンの長所のひとつでもある最小回転半径の驚異的な小ささも、切り返さずに工場から出たり、街中でUターンできたりするところが描かれています。
インパネやシートなども、盗難シーンに別角度から何カットか入ってきますね。可能だったならば、独特のステアリングホイールやメーターパネルなどももう少し観たかった。
最後には、刑事たちが警察のDSでコステロを追っています。コステロは地下鉄を乗り換えながら尾行警官を撒いたりもしますが、そのシーンの組み立て方などは後の1971年製作のアメリカ映画「フレンチ・コネクション」に明らかな影響を及ぼしていますね。
1960年代パリのクルマたち
「サムライ」は、アラン・ドロンを観る映画であり、DSを楽しむ作品であり、そして、1960年代中盤のパリを堪能する映画でもあるのです。行き交うクルマを順番に挙げてみるだけでもたくさんあります。
シトロエン2CV、ルノー4、NSUプリンツ1000、プジョー204、MGB GT、2CVフルゴネット、ルノー カラベル、シムカ1000、同1100、ミニ、シトロエン アミ6、フィアット600、ホンダS、メルセデスS、ルノー16、トライアンフTR5、ボルボ164、フィアットのミニバン、プジョー404、同204、シトロエン アミワゴン、シトロエンHトラック、ルノー ドフィン、ルノー4CV、フィアット125、シトロエン ディアーヌなど。
他に、キャデラック シリーズ60らしき大型セダンやブランドも車名も判明できなかった白いアメリカ車が3回別のシーンに登場していたのはスタッフ用のクルマだったのかもしれません。
アメリカ車やアメリカ資本のオペルやヨーロッパフォードの古いものはフロントグリルのメッキが派手なところまでは判別できたものの、それ以上の特定ができませんでした。白いホンダSが画面を横切っていくのははっきりと見えて、ちょっとビックリしました。
DSは1955年から75年まで20年間も製造され続けていたので、登場する映画も少なくありません。その中でも、「サムライ」はDSがさまざまな姿を見せる作品となっています。
DSでなくても物語は変わらなかったでしょうが、やはり、時代と場所を表現するためにはDS以外のクルマでは務まらなかったのかもしれません。半世紀以上も前の作品なのでディテイルなどにはもちろん年代を感じさせられるところもありますが、いつ観ても映画としての魅力に変わりはありません。それは、DSが今でも強烈なアウラを放ち続けていることと相似を成しているのだと思います。