昨年11月にドキュメンタリー『ロイ・ハーグローヴ 人生最期の音楽の旅』(エリアン・アンリ監督作品)が公開されたジャズ・トランペット奏者のロイ・ハーグローヴ。2018年11月に49歳で急逝した彼の最後の夏に行われたヨーロッパ・ツアーに密着し、演奏する姿はもちろん、音楽への向き合い方や自身の病気、体調についてロイが語った貴重なインタビュー、そしてロイと親交の深かったミュージシャンたちへの取材映像などを通じて立体的にロイを表した本作では、ステージ外の彼のいでたちも垣間見ることができる。今回は服好きとしても知られるロイ・ハーグローヴの音楽とファッションを振り返ってみよう。

ジャズメンのファッションの変遷

 さて、「ジャズメンのファッション」といって多くの人がイメージするのはグラマラスな、あるいは端正でクールなスーツ・スタイルではないかと思うが、実のところこうしたスーツ・ルックが主流だったのは1960年代いっぱいくらいまで。1970年代に入ると音楽としてのジャズはさまざまなジャンルとクロスオーバーしていったのはご存じのとおりだが、そうしたなかでファッションも多様化していったのだ。

 とりわけブームを巻き起こしたフュージョンは、アメリカではいわゆるスタジオ・ミュージシャンが中心となっていたもので、彼らはカジュアルなアイテムを身につけてステージに立つことが多かった印象である。こうした流れのなかで、ヒッピー、サイケデリック・ムーブメントの頃にはいち早くスーツ・スタイルを脱却し、1980年代には〈アーストン ボラージュ〉をはじめとする日本のデザイナーズ・ブランドを気迫で着こなして、時代の空気と呼応しながらも個性的なファッションを披露していたのがマイルス・デイヴィスである。

 1970~80年代のフュージョン・ブームが落ち着きをみせた1990年代になると、ジャズ・ミュージシャンのファッションはダーク・カラーのスーツやジャケット中心のスタイルが主流となる。よくいえばシック、悪くいえば地味なこれらのスタイリングは、お世辞にも個性的とはいえないものだった。この時代のジャズに関連する音楽的トピックスといえば、イギリスではアシッド・ジャズやクラブ・ジャズが盛り上がりつつあり、アメリカのジャズは古い音源がヒップホップのサンプリング・ソースとして脚光を浴びるようになっていたのだが、そんな状況のなか、1990年にロイ・ハーグローヴの初リーダー作『Diamond In the Rough』はリリースされた。

アルバム・デビュー、グラミー賞受賞

 1969年テキサス州に生まれたロイ・ハーグローヴは、子ども時代からゴスペルやリズム&ブルース、ファンクを聴いて育ち、9歳頃にはコルネットのレッスンを受けるようになったという。師事したドラマーでトランペッターのディーン・ヒルの影響でジャズ名盤の数々に触れたロイはブッカー・T・ワシントン・ハイスクール・フォー・ザ・パフォーミング・アンド・ヴィジュアル・アーツに進学。音楽教師でもあった同校校長が大のジャズ・ファンだったことからより多くのジャズを聴く機会を得る。在学中、ロイはクリニックで同校を訪れていたトランペット奏者のウィントン・マルサリスに見出され、彼のライブに客演することとなった。

 1988年、ボストンのバークリー音楽大学に進んだロイは、その後ニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチ(ニューヨーク)でも学び、またサックス奏者のボビー・ワトソンのグループ「ホライズン」や〈BLUE NOTE〉に遺された名曲を演奏する8名からなるユニット「スーパーブルー」に参加。

 1990年に先に挙げた『Diamond In the Rough』でアルバム・デビューを果たした。以後、モダン・ジャズに根ざしたコンテンポラリー・ジャズのアルバムをコンスタントにリリースしたロイは、ラテン・フレイヴァーたっぷりのアルバム『Havana』(1997)で「第40回グラミー賞」ベスト・ラテン・ジャズ・パフォーマンス賞を受賞。「第45回グラミー賞」では『Directions In Music』(2002)がベスト・ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム賞に輝いた。生涯を通じて6回にわたりグラミー賞にノミネートされており、名実ともにトップ・クラスのアーティストといって差し支えないだろう。

「ヒップホップ世代」がジャズに取り組むとどうなるか

 そんなロイ・ハーグローヴだが、こうしたコンテンポラリー・ジャズのフィールドだけでなくヒップホップ、ネオソウル界隈での活躍もよく知られているところ。ディアンジェロ『Voodoo』、コモン『Like Water For Chocolate』、そしてブッカー・T・ワシントン・ハイスクールの後輩でもあるエリカ・バドゥの『Mama’s Gun』など、2000年にリリースされ大きな話題となったアルバムへの参加は有名だろう。

 こうした活動はソウルやジャズ・ファンク、ヒップホップにフォーカスした自身のプロジェクト「RHファクター」へと連なるものだが、よくある「流行りに乗った」宗旨替えではないのは明記しておきたい。先の2000年の名盤への参加と同じ年にはソロ名義で『Moment To Moment』というそれはそれは美しいジャズ作品を発表しているのである。

 宗旨替えでないのなら、ヒップホップやネオソウルへの接近はどういったことか? それはロイが子どもの頃からヒップホップに慣れ親しんでいたことと関係している。「僕らはヒップホップが生まれた時から触れているからヒップホップ世代」「祖父の世代はジャズで、親の世代はファンク、そして僕らの世代からヒップホップになった」(いずれも柳樂光隆監修、シンコーミュージック刊『Jazz The New Chapter 4』)とロイは語っている。

 現在では音楽の1ジャンルとして広く知られるヒップホップだが、本来はDJ、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティを要素とするストリート発祥の文化を表している。このストリート・カルチャーはかつてのモッズやヒッピー・ムーブメント、そして広義のブラック・カルチャー同様、「どう生きるか」という生き方の表明であり、若者、とりわけ黒人やヒスパニック系のユースにリアリティをもって受け止められ、そして共感、支持された。自ら「ヒップホップ世代」と称するロイにとって、ヒップホップは借り物ではなく彼の血肉となっている存在であり、そのうえで彼はジャズを学び、自身の音楽を奏でたのだ。

 ジャズとヒップホップの近接は、今でこそ当たり前のように感じられるが、2000年代初頭においては革新的なアプローチだった。ヒップホップにあっては、ジャズはサンプリング・ソースとして重要なものだったが、ジャズのフィールドでヒップホップの要素を取り入れることは当時は決して多くはなく、ロイの取り組みが2010年代から現在に至るジャズの多様化の端緒のひとつとなったのは間違いないところだろう。

ファッションでも個性を発揮

 ところで、ホセ・ジェイムズとの共演などで知られるトランペット奏者の黒田卓也は、ニューヨークに移り住んだ2003年から数年間、ロイのライブに足繁く通った頃のロイのルックスをこう語っている。「スニーカー、アディダスのジャージ、耳ピアス、ドレッドヘアー、ほとんど開いていない目」(ウェブサイト「BLUE NOTE CLUB」2019年4月22日公開「特別寄稿:黒田卓也 追悼ロイ・ハーグローヴ」)。

 1990年代以降のジャズ・ミュージシャンのファッションがダークなスーツやジャケット・スタイル中心だったことは本稿の冒頭に記したが、そんな時代にアディダスのジャージである。アディダスといえばランDMCのトレードマークだが、ランDMCはロイのフェイヴァリット・ヒップホップ・アーティストのうちのひと組。

 また、2010年代以降のジャズに多大な影響を与えた鍵盤奏者のロバート・グラスパーは、彼が通う高校に講演会か何かのために訪れたロイについて「プロのジャズ・ミュージシャンといえば、ブラックスーツでシックにキメているイメージだったけど、ロイはTシャツにGパンにスニーカーという、僕らとまったく同じファッションでやってきた」と述べている(マガジンハウス刊『BRUTUS』2023年3月1日号「JAZZ is POP!」)。

 ロイよりも9歳下(1978年生まれ)のグラスパーはヒップホップ黄金期と称される1990年代には多感な10代であり、ヒップホップ・カルチャーの影響を受けていたのは想像に難くないが、そんな自分たちの感覚との共通点をこのときのロイのアウトフィットから感じたのではないだろうか。

21世紀ジャズをよりクリエイティブにした男

 映画『ロイ・ハーグローヴ 人生最期の音楽の旅』では、スーツやジャケットにナイキやアディダスのスニーカーを組み合わせるおなじみのスタイリングのほか、よりカジュアルなアイテムを身につけたステージ外の姿や、若い頃のよりヒップホップ色の濃いファッションのロイも見ることができる。この作品のなかでスニーカーを買い求めるシーンがあるのだが、その様子からはファッション好きなことがひしひしと伝わってきて微笑ましかった。

 ジャズの伝統を踏まえながら、それに囚われることなく自身の音楽を追求し表現したロイ。彼がいたおかげで21世紀のジャズはより自由でクリエイティブなものになったといっても過言ではないだろう。

 このことはジャズ・ミュージシャンのファッションについても同様で、かつてのダーク・スーツ一辺倒から、自分のパーソナリティを生かしたさまざまな服をまとったミュージシャンたちがステージを彩るようになった。そう、21世紀のジャズはロイ・ハーグローヴ抜きには考えられないのである。それにしても、自分のルーツやバックグラウンドがそこはかとなく透けて見える音楽やファッションは実に美しいものだ。