パリで生まれた印象派は、海を越えて世界へと伝わった。1898年の開館当初から印象派の作品を収集してきたアメリカ・ウスター美術館のコレクションを中心に、アメリカや世界各国での印象派の展開を紹介する展覧会「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」がスタートした。

文=川岸 徹 

チャイルド・ハッサム《コロンバス大通り、雨の日》1885年 油彩、カンヴァス ウスター美術館
Bequest of Mrs. Charlotte E.W. Buffington, 1935.36/Image courtesy of the Worcester Art Museum

当初は売れなかった印象派

 印象派と聞いて真っ先に浮かぶ都市は、やはりパリだろう。19世紀半ばのフランス美術界。若い画家たちは、従来の伝統や格式にとらわれない新しい絵画表現を模索。当時の絵画の主役であった歴史画(物語画)ではなく、近代化により変わりゆく都市風景やその時代を生きる人々を、明るい色彩を用いて描き出した。

 だが、そうした革新性豊かな新しい絵画は、当時の美術界を牛耳っていたサロン(官展)から拒絶されてしまう。サロンに出品しても、作品はことごとく落選。そこでモネ、ルノワール、ドガ、ピサロらは一致団結し、自分たちの手で展覧会を開くことを決意する。1874年4月15日、パリにある写真家ナダールのアトリエにて「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第1回展」、現在では「第1回印象派展」として知られる記念すべき展覧会が開幕した。

 こうしてパリで産声をあげた印象派。では、人気に火が付いたのもパリなのだろうか。実は、本国フランスでは印象派の作品の売上はぱっとしなかったらしい。1874年の第一回印象派展から10年以上経っても人気に火が付かず、彼らの作品を扱っていた画商デュラン=リュエルはほとほと困り果てていたという。

 

新しい市場・アメリカに注目

 そこでデュラン=リュエルは新しい市場を求めてアメリカに進出。1886年にニューヨークで展覧会を開催したところ、これが大当たり。アメリカはフランスに比べて歴史が浅いぶん、新しいものを受け入れる柔軟性がある。さらに当時アメリカでは、自然豊かな風景や農民の姿を描いたバルビゾン派の絵画が流行っていた。屋外でのスケッチを重視する印象派の絵画を受け入れる土壌が整っていたのだ。

ジャン=バティスト=カミーユ・コロー《ヴィル=ダヴレーの牧歌的な場所――池畔の釣り人》1865-70年 油彩、カンヴァス ウスター美術館
Bequest of Mrs. Charlotte E.W. Buffington, 1935.45/Image courtesy of the Worcester Art Museum

 印象派に魅せられたアメリカの画家たちはフランスへ渡り、理論や技法を学び、母国へと持ち帰った。帰国した彼らはアメリカらしい風景を求め、コネティカット州コス・コブやオールド・ライムなど自然豊かな地に芸術家コロニーを形成していく。1898年にはアメリカの印象派グループといわれる10人の画家たちが「テン・アメリカン・ペインターズ」、通称“ザ・テン”とよばれる展覧会を開催。ザ・テンは20年にわたって毎年開催され、アメリカ印象派の存在は広く知られるようになっていった。