平安時代に奥州藤原氏の初代・藤原清衡によって建立された岩手県平泉の国宝「中尊寺金色堂」。建立900年を記念した特別展「中尊寺金色堂」が東京国立博物館にて開幕した。
文=川岸 徹
平安時代屈指の名品
平安時代後期から鎌倉時代の初めにかけて東北地方一帯を治めた一族、奥州藤原氏。初代の藤原清衡(きよひら)、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)、泰衡(やすひら)と4代100年にわたって栄華を極めたが、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝に攻められ滅亡した。
時代の変わり目という戦乱の世を生きた奥州藤原氏であったが、彼らは戦を好まず、平泉の地に仏国土「平和都市・浄仏国土」を築きたいと考えていた。その象徴として初代・清衡が発願し、建立されたのが中尊寺金色堂。金色に覆われた絢爛豪華な建物は奥州藤原氏の栄華を示すとともに、極楽浄土の世界を思わせてくれる。
この金色堂は現在も保存され平泉観光の目玉となっているが、正直なところ、建物の細部や堂内に収められた仏像の魅力を存分に堪能できるとは言い難い。現地を訪ねた人ならおわかりだろうが、金色堂は覆堂という建物にすっぽりと覆われ、覆堂の中に入るとさらにガラスケースが被せられている。しかも世界遺産・平泉を代表するスポットだけに、いつ訪れても混雑が激しい。心静かに拝観というわけにはいかないのだ。
そんな中尊寺金色堂が東京へやって来た。1月23日、東京国立博物館にて開幕した「建立900年 特別展 中尊寺金色堂」。金色堂中央壇に安置された全11体の仏像が揃って公開される。
中央壇の国宝仏像11体が揃ってお目見え
この中央壇とは、どんなものなのだろうか。金色堂内には3基の須弥壇が設けられ、それぞれの須弥壇に藤原清衡、基衡、秀衡のミイラ化した遺体が安置されている。初代・清衡が眠るのが中央壇だ。ちなみに残り2つの須弥壇である西北壇と西南壇は2代・基衡と3代・秀衡の墓所で、かつての寺伝では「西北壇が基衡、西南壇が秀衡」とされていたが、近年の遺体調査の結果により現在は「西北壇が秀衡、西南壇が基衡」と寺伝が改められている。
3基の須弥壇にはそれぞれ11体の仏像が安置されている。阿弥陀如来坐像を中央に観音菩薩立像と勢至菩薩立像を脇侍とする阿弥陀三尊像。その三尊像の左右に3体ずつ、合計6体の地蔵菩薩立像。そして壇の前方に配置された持国天立像と増長天立像。3+6+2で、これで合計11体になる。この仏像の配置は3基の須弥壇に共通しており、金色堂内には合計33体の仏像が安置されている。
展覧会で公開されているのは、中央壇の11体の仏像。ありがたいことにそれぞれの仏像は個別にガラスケースに収められており、至近距離で、しかもぐるりと360度さまざまな角度から仏像を鑑賞することができる。