選手の価値を高めたい

 そして平井は続ける。

「スケートを介していろいろな出会いがありました」

 大学時代、「学費と留学費用を稼ごうと」、NHKでアルバイトを始める。

「スポーツニュースを聴いてスラングや用語だらけのものを日本語に書き起こす仕事をさせていただきました」

 翻訳を仕事として体験すると、外資系の大手広告代理店に社内通訳として就職。

「8時間ノンストップの会議を通訳として担当したり、日帰りで週3回の出張があったり。入社して夏には倒れて入院していました。でも鍛えていただく場所があっただけでも貴重でした」

 結婚したこともあり1年で退社。NHKで再び働き始めた。スポーツ番組が担当だった。

「いらっしゃったのはマイケル・ジョーダンの友人やロッテのバレンタイン監督の通訳だった方など素晴らしい方ばかりでした。そこでも鍛えていただきましたが知識やキャリアでは絶対に追いつけないと限界も感じていました。唯一私が役に立てたのは同時通訳で、その部分を評価していただきました」

 通訳者として王道である会議通訳で道を開いていこうと考え、NHKの国際研修室で学んだ。その後、アメリカ大使館の仕事や沖縄サミットに携わり会議通訳者としてのキャリアを重ねる一方、2002年の日韓サッカーワールドカップなどにも従事した。

 2007年の頃、誘いがあった。

「スポーツの先輩の新村香さんから『私はアナウンスに移りたいから通訳としてやってみない?』と誘いがありました。『ぜひやりたいです』と返事をして、日本スケート連盟の面接を受けました」

 そのとき、「ただ通訳するだけではなく、選手の商品価値を高めてあげたい、それも含めてお願いしたい」と言われた。

「日本のスケート界を心配していらっしゃいました。私も広告代理店でPRなどもやっていましたし、そこが合致して通訳以上のことをやらせていただけていると思います」

 2007年、東京で行われた世界選手権で、フィギュアスケートの通訳としてスタートを切った。

 人生の折々に支えとなったフィギュアスケートで、通訳以上の役割をこなす中、やがて日本の今後を憂う場面にも直面してきた。

 

平井美樹(ひらいみき) 放送・会議通訳者として国際会議やビジネスの場で活躍。またスポーツでも活躍し2002年サッカー日韓ワールドカップ、2019年ラグビーワールドカップ、2021年に開催された東京オリンピックなどにも携わる。フィギュアスケートでは2007年より通訳として活動している。