文=松原孝臣 写真=積紫乃

MFアカデミーのヘッドコーチに

 現役を引退後、選手時代を過ごした「パピオフィギュアクラブ」でコーチとしてスタートを切り、指導にあたる中で方向性を確立していった中庭健介。

 教えている選手たちが大会で成績を出すようになり、当初考えていた三つのうち、恩師と福岡への恩返しはできたという実感があった。

「あとはフィギュアスケート界にどう恩返ししていこうかと思いました」

 そのとき、あるコンタクトがあった。リンクの設営や運営・管理などを担う「パティネレジャー」からだった。2020年3月のことだ。

「連絡があり、福岡に来ていただいてお話しました」

 それは予想もしない内容だった。

「『こういう器ができるから、そこでヘッドコーチとして自由にチームを作ってください』というお話でした」

「こういう器」とは千葉県船橋市に新たにできる予定だったリンクであり、のちに三井不動産アイスパークとして開業した。そのことすら中庭は知らなかったし、パティネレジャーの存在は知っていたが深くかかわったこともなかった。だから自分に白羽の矢が立ったこと自体が不思議だった。

「いろいろ関係者の人などに話を聞いていく中で、僕の名前がいちばん多かったということだったそうです」

 ときはコロナが世界を揺るがせ、日本でも緊急事態宣言が出されることになった。それに伴い練習環境もなくなった時期と重なり、じっくり考える時間をもつことができた。

 でも容易に結論は出せない。恩師であるコーチ、石原美和に相談した。

「『そういうありがたい話が来ているなら受けなさい』というくらいの勢いでした。僕がいるのは石原先生のおかげです。そこで背中を押してくれたのが大きかったですね」

 大役を任せようとしてくれたパティネレジャーへの感謝もあり、中庭はオファーを受けることを決断する。

 ただ、気がかりなことがあった。当時、クラブが拠点とするパピオアイスアリーナは閉鎖が検討されていたのだ。幸い、現在では存続しているが、2021年6月末に一度は休館したように、閉鎖の危機が現実のものとなっていた。

 そうした状況で移れば詮索もされかねない。捨てるつもりはなくても「パピオを捨てるのか」という声も出てくる危惧もあった。

 それは杞憂だった。

「もちろん悲しむ人も多かったです。ただ批判的な意見はほぼなく、それはやっぱりありがたかったです」

 MFアカデミーのヘッドコーチになることで、残された3つの恩返しの1つ「フィギュアスケート界への恩返し」をあらためて決意した中庭は就任にあたり、理念を考えた。