ヘルスケアのイノベーション創出に向けたトレンドと取り組みを紹介するオンラインカンファレンス「CHUGAI INNOVATION DAY 2022」が2日間にわたって開催された。1日目のテーマは「R&D Innovation」。そのセッション1では、生活者に最適なものを提案する取り組みを紹介。3つのプレゼンテーションとパネルディスカッションで、一人一人異なる生体情報に合わせた個別化医療への応用、異業種連携の可能性を探った。

左から大矢直樹氏、植松智氏、村下君孝氏、石井暢也一氏

皮脂RNAを活用した美容分野のパーソナライゼーション

 1つ目のプレゼンテーションには、花王から生物科学研究所 グループリーダーの大矢直樹氏が登壇。美容分野におけるパーソナライゼーションにつながる技術として、皮脂RNAによるイノベーションとその可能性について発表した。

 個人の肌の状態を精緻に把握するには、DNAに由来する先天的要因とともに、紫外線の影響など後天的要因を含めて解析する必要がある。大矢氏のグループは、皮膚の状態を精緻に解析するために日々変化するRNAに着目した。皮脂に豊富なmRNA分子が安定的に存在することを発見し、これを皮脂RNAと名付けた。

 さらに次世代シーケンサーによって、皮脂中に含まれる1万種に及ぶmRNAの発現量を網羅的に解析する独自の技術を構築した。皮脂RNAは、皮脂腺以外にも表皮、毛包などの発現情報を豊富に含有していること、またアトピー性皮膚炎の分子病態を精緻に反映することを確認した。

 皮脂RNAの特徴は、皮膚から非侵襲的な方法で簡便に採取でき、適時・網羅的に生体情報を得られることにある。さらに、大矢氏のグループでは皮脂RNAの保存安定化技術を開発し皮脂検体を常温で保存・輸送することが可能になり、肌のモニタリングツールとして実用化可能な段階まで至っている。

 また、AI技術に長けているプリファードネットワークスとの異業種連携により、皮脂RNA情報をAIで解析することで肌性状を可視化することにも成功している。皮脂RNAから炎症、DNA損傷など多数の老化マーカーを抽出しており、見た目では分からない肌の老化状態を可視化する試みも行われている。「日々変わる個人の状態を可視化し、最適な提案を行うためのツールとして活用し、より満足度の高い豊かな生活に貢献していきます」と大矢氏は語った。

腸管メタゲノミクスの研究、治療法から全分野への応用まで

 2つ目のプレゼンテーションでは、大阪公立大学大学院医学研究科・医学部 ゲノム免疫学教授で、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターメタゲノム医学分野 特任教授の植松智氏が、腸内細菌叢の新たな解析法・診断法とその応用について、最新情報を紹介した。

 腸内細菌叢は「忘れられた臓器」と呼ばれ、そのメカニズムは長い間ブラックボックスになっていたが、次世代シーケンサーで解析することで、菌構成を検出し可視化するゲノムベースの研究が可能になってきた。植松氏のグループは、日々変化する腸内細菌叢を正確に評価するために、全ゲノムを解析する「メタゲノム解析」を行っている。

 例えば、炎症性腸疾患のクローン病では、健常者の腸内細菌叢と比較して解析することで、クローン病者で不活化する腸内細菌の働きを可視化できた。また、難治性の偽膜性腸炎は、欧米では多くが糞便移植で完治するものの、その作用機構が不明だった。その移植前後とドナーの糞便を解析することによって、治療過程の可視化に成功した。

 これを応用した「メタゲノム診断AI」では、腸内細菌の遺伝子パターンから腸の状態を診断することができる。これをプラットフォーム化して社会的インパクトをつくる鍵となるのが、「スマートトイレ」だ。コンタミせず自動で糞便を採取し、DNAを抽出、解析して、その情報を病院や研究機関で共有できる仕組みであり、実現すれば、危険感染流行地でのメタゲノム解析も可能になる。

 治療法への応用事例では、腸内で疾患の原因となる「Pathobiont(病原性共生細菌)」の除去がある。腸内の常在ウイルスをゲノム解析し、データベース化することで、Pathobiontに感染し制御できるファージを同定。これを用いてPathobiontを除去する次世代バクテリオファージ療法につなげた。ゲノム情報から抗菌物質を単離する「ゲノム創薬」として、各界の注目を集めている。

 さらに、メタゲノム解析の今後の可能性として、植松氏は「多剤耐性菌出現の世界的脅威へのバクテリオファージ療法への応用」を挙げる。また、「将来的には、医療から土壌、海洋、全産業領域に応用し、イノベーションを起こすことができる技術です」と述べた。

人の内面を把握する、感情センシング技術とそのビジネス展望

 3つ目のプレゼンテーションには、デンソーテン 新事業推進本部イノベーション創出センター プロジェクトリーダーの村下君孝氏が登壇。感情センシング技術開発の取り組みについて紹介した。

 車載機器製造をメインとする同社では、ICT技術を活用して適切なサービスを提供するために、人の状況、特に内面の感情を把握する必要があると考えている。ドライバーの状況に合わせた運転支援やメンタルケア、パフォーマンス向上などへの適用を目指す。

 感情センシングは主に3つ要素で構成される。感情を推定するためのデータを集めるセンサー、推定するアルゴリズム、ユーザーとの接点になるサービスアプリケーションだ。

 センサーでは主に、脳波、心拍数、脈拍数、体表温度、瞳孔、声質などの生体信号を測定する。また代表的なアルゴリズムは、横軸に快不快、縦軸に覚醒・不覚醒の値を取り円環上に配する「ラッセルの円環モデル」、表情から感情を推定する「エクマンの表情推定モデル」などがある。サービスアプリケーションとしては、脳波で感情を見える化する「感性アナライザ」(電通サイエンスジャム)、脈波で緊張度や疲労度を推定する「感情分析ソリューション」(NEC)などがある。

 同社はベンチマークとして、脳波と心拍間隔を使ってラッセルの円環モデルによる感情推定性能を測定。相関関係を確認した後、推定性能向上のために、既に確立された医学的なエビデンスをもとに、精度向上に役立つ生体信号の特定、ノイズを除去する新たなアルゴリズムの構築に取り組んだ。最終的には悲しみ、怒り・喜び、リラックス、不安といった4象限の感情において、8割を超える推定性能を実現している。

「今後の課題は、現在同じ象限に入っている怒り・喜びの分離をすることと、非接触による感情の見える化です。非接触の実現のためには、AIも活用していきます」と村下氏は語った。