時代の流れを読み、生き馬の目を抜くようなビジネスシーンで躍動してきた人は何を慈しみ、手元に何を残してきたのか。日本を牽引するエグゼクティブにお気に入りの七つ道具を伺う連載第1回は、ジョルジオ・アルマーニやチェルッティといった、今やお馴染みであるイタリアンブランドの日本上陸に貢献した酒井壽夫氏。1980年代以降のファッションシーンに大きな影響を与えた人物の一人であり、現在もトレンドの仕掛け人として活躍する、時代のキーマンだ。その氏にとっての定番、愛用品とは?

写真=鈴木克典 文=金井幸男  編集=名知正登

機能性に優れ、品質とプライスのバランスがとれていること

 大学卒業後の1972年、酒井氏は伊藤忠商事に入社。主にイギリスから紳士服生地を輸入する課に配属される。翌年よりスタートした為替変動相場制が輸入市場にとって追い風となり、所属部署は数年で急成長。自身も海外文化を日本に紹介する商社マンとしてキャリアアップしていった。

 輸入生地ビジネスの中心がUKからイタリアへ移っていた‘85年、ミラノに赴任する。そして、ファブリックだけでなくブランド自体の輸入やライセンス取得などの事業も担当するように。

「当時の日本で海外ブランドといえばライセンスがほとんど。本国で作られたプロダクトを輸入し、ライセンス商品と同時に販売するビジネスモデルを先駆けて成功させたといえるのがジョルジオ・アルマーニではないでしょうか」と酒井氏。

 1975年に創業し、今でも世界屈指のファッションブランドに君臨するジョルジオ・アルマーニ。メインコレクション以外にも多岐に渡ってラインを展開し、アイウェアや化粧品といった、グローバルライセンスアイテムも非常に高い人気を誇る。

「本格的な日本進出は‘87年。私の所属するチームが中心となって、西武・伊藤忠との合弁契約を実現させました。伊藤忠にとっては、英ブランド、ダンヒルの独占輸入権を獲得したのに続く大仕事でしたね」

 ほかにもチェルッティやフィラ、エンリコ・コヴェリ、ミッソーニ、マリエラ・ブラーニなど、酒井氏と伊藤忠商事時代の上司、仲間たちを経由して日本にやってきた名門ブランドは数知れず、いずれも大成功を収めている。

 審美眼を評価されてか、‘91年に帰国すると出向でジョルジオ・アルマーニ ジャパンの取締役副社長に就任。伊藤忠商事退社後もグッチ・グループ・ジャパンのイヴ・サンローラン・ディビジョンCEO、バリー・ジャパン代表取締役社長などを務めた。

「さまざまなファッションに携わってきましたから、時節に応じて付き合うアイテムも往々にして移り変わりました。しかし、今愛用しているのは長く使い続けているものばかり。機能性に優れ、品質とプライスのバランスがとれている逸品。ファンクショナルなものって、自然とルックスも良くなるのですよ。だから、結果としてずっと愛せるのだと思います。

 また、私は基本的にお気に入りを繰り返し購入して使うタイプですが、継続して付き合うには生産体制が整っていて、定期的に販売されないと無理でしょう? アルマーニのニットしかり、ボルサリーノのハットしかり、廃盤にならないのは高く評価され常にニーズがある、完成された名作との証明でもありますね」