息子たちと過ごすクリスマスの3日間

『スペンサー ダイアナの決意』Photo credit:Pablo Larrain

 一方、『スペンサー ダイアナの決意』は実際の出来事をベースに、虚構を織り交ぜながら彼女の揺れ動く内面を掘り下げた作品だ。舞台となっているのは、エリザベス女王の私邸。ロイヤルファミリーと息子たちとともに過ごすクリスマスの3日間が描かれる。生家の近くの場所なのに彼女は道に迷い、自分で車を走らせながら“現在地”を見失っている。チャールズとカミラとの不倫や執拗なパパラッチに苦しめられ、摂食障害を患った彼女の精神崩壊寸前の状態なのだ。

『スペンサー ダイアナの決意』Photo credit:Frederic Batier

 チャールズから贈られたカミラとお揃いの真珠のネックレスが首元に絡みつき、かつて処刑されたアン・ブーリン王妃の亡霊を目にしたかと思えば、狩りのためだけに命を落としていくキジに自分を重ね合わせることもある。不安定な精神に周波数を合わせるように鳴り響く音楽が不穏なムードを高め、パブロ・ラライン監督は『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』に続いて、限られた日数の中で一人の女性の心の奥底に静かに分け入ってみせた。

『スペンサー ダイアナの決意』Photo credit:Claire Mathon

 ダイアナを演じたクリステン・スチュワートはアクセントや所作、ふとしたまなざしの移ろいで内面を静かに表現して、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされている。ヘアメイクを担当したのは、ナオミ・ワッツ主演の『ダイアナ』も手がけた日本人ヘアメイクデザイナーの吉原若菜。自然なウィッグも含め、物真似ではなく“クリステンの中のダイアナを引き出す”という試みが、見事に成功している。

『スペンサー ダイアナの決意』Photo credit: Pablo Larrain

 フィルムで撮影された映像は美しく、儚く、ときにダークで、映し出される数々のダイアナのファッションも目を引きつける。目的によって着る服までコントロールされていた王室の窮屈な日常が描かれるが、劇中に登場するファッションは私たちが目にしたことのある彼女らしさを感じさせる。

『スペンサー ダイアナの決意』Photo credit:Pablo Larrain

 私邸に向かう際に着ている赤と緑のツイードのジャケット、息子たちとわずかばかりの和やかな時間を過ごす場面での赤いタートルネックと黒と白のチェックのスカート、教会に行くときの真っ赤なコートなど、キーとなっているカラーは赤。このほかにもクリステン・スチュワートが最も気に入っているというシャネルのオートクチュールのイブニングドレスが、物語の中でも大きな意味を持つ。

 息ができない水のなかで溺れるような3日間を描いているが、衣装係の女性との心のつながりにほのかな希望が灯され、最後に描かれるのは自分と子供たちの自由を獲得するためのダイアナの“決意”。風を切って駆ける場面は、涙が出るほど気高く、清々しい。