ダイアナ妃生誕60年にあたる2021年。1986年、来日した妃のドレスをデザインしたYUKIこと鳥丸軍雪さんに当時のこと、イギリスに最も長く住む日本人としての思いを中野香織さんがインタビュー。前編はダイアナ妃のドレスをデザインすることになったいきさつ、来日時にダイアナ妃が鳥丸さんに打ち明けた悩みなど、貴重なお話を紹介します(全3回)。
文=中野香織
*新聞など大手メディアでは「ダイアナ元妃」と表記しますが、離婚後もPrincess of Wales の称号を保っていることと、「人々の心の王妃になりたい」という意志をくみとって、私の署名原稿ではすべて「ダイアナ妃」と表記しています。
2021年はダイアナ妃生誕60年にあたる。クリスティン・スチュワート主演のダイアナ妃の新作伝記映画『スペンサー』も11月に公開される。
1986年、チャールズ皇太子とともに来日した妃は、訪れる先々でダイアナフィーヴァーを巻き起こした。日本に敬意を表した装いの数々は今も色あせることなく、繰り返し引用されている。
なかでも来日を象徴する別格のドレスとして多くの人々の脳裏に刻まれているのは、YUKIこと鳥丸軍雪がデザインしたロイヤルブルーのドレスである。ロンドン在住63年になるYUKIに当時のこと、そしてイギリスに最も長く住む日本人としての思いをZOOMを通して伺った。
ただ売るためのファッションはやりたくなかった
——ロンドンの現在のファッション状況はいかがですか?
鳥丸 ファッション界と私は全く関係がないです。ファッションビジネスも好きじゃない。洋服を作ってきたのでファッションデザイナーという肩書をつけられるのですが、自分ではそう思っていません。ファッションは時代の感覚を取り入れて毎シーズン変化します。変化のための変化を作ります。でも、私はそれを不自然だと思う。
1970年代、パリに残らなかったのは、サンディカ(オートクチュール組合)がトレンドカラーを決めて、それに沿って仕事をしなくてはいけないということに違和感があったからです。ロンドンだと好きなことができます。パリで発表しないと世界的な名声を得ることはできないと言われましたが、ただ売るためのファッションはやりたくなかったのです。
——ファッションデザイナーではないとしたら、ご自分をどのように規定していらっしゃいますか?
鳥丸 ただの「デザイナー」でしょうか。人間が身の回りに置くものをデザインする。服にしても、使う人の身になって、機能面にも配慮します。足を組む、階段をあがる、どんな動きにも苦痛を感じず着られる服。着たら忘れてしまう服。着る人の個性を加える余地も残しておきます。着てくれる人に対する思いやりを常にもっていたいのです。
流行に乗ったものを次々に提案するのは、不親切です。着る人にチャレンジを強いる服には、無理があります。そんなことをしなくても人は美しくなる権利があるし、みな美しいのです。どの時代でも変わらないタイムレスな美しさを創りたいのです。