1941年の発表当時、舞台は2000回上映され、映画化もされた名作戯曲『陽気な幽霊(Blithe Spirit)』。大ヒットTVシリーズ『ダウントン・アビー』の制作陣によりアップデートされた映画『ブライズ・スピリット~夫をシェアしたくはありません!』は、 かけあいの妙はもちろん、当時のファッションとアール・デコのインテリアといった背景も見どころ満載。中野香織さんが一見では気づかない、通ならではのポイントを教えます。

文=中野香織 

『ブライズ・スピリット~夫をシェアしたくはありません!』
2021年9月10日(金) TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
© BLITHE SPIRIT PRODUCTIONS LTD 2020
配給:ショウゲート

『ダウントン・アビー』スタッフ&キャストによるアップデートが実現

 1937年のイギリスを舞台にしたウェルメイド・コメディである。原作はノエル・カワード(1899 -1973)の『陽気な幽霊(Blithe Spirit)』。この戯曲がウェストエンドで上演されたのは1941年で、5年間に1997回という異例の連続上演記録を達成している。その後もブロードウェイはじめ各地の舞台で繰り返し上演されたり、映画化されたりしているので、もはやネタバレもなにもない、ストーリーはもはや古典になっている。

 スランプに陥っている売れっ子作家が霊媒師に頼み、7年前に死んだ最初の妻を呼び出す。これまでの作品はその妻のアイディアを元にしていたので、今後のキャリアを決する脚本を書くために、また彼女に頼りたくなったのだ。あの世からよみがえった妻は、自分が幽霊となっていて、夫が新しい妻と暮らしていることを知り衝撃を受ける……。

 作家と現在の妻、幽霊となってあらわれた元妻、そして霊媒師が繰り広げるコメディで、原作の魅力の肝は、原作者によって綿密に作り込まれたセリフの応酬にある。

 とはいえその英語は80年前のイギリス上流階級の英語。かけあいの妙を味わい尽くせる観客はおそらく現代のイギリス人にも多くはないと思われるし、ウィットの効かせ方も今では「決まりすぎ」が古く感じられる。

 そこで2020年に製作された新作映画版では、『ダウントン・アビー』を成功させた監督エドワード・ホールと、脚本・製作陣が当代うけするようにアップデートした。主演も『ダウントン・アビー』のマシュー役で知られるダン・スティーブンスで、ダウントン的世界が好きな現代の観客のツボはしっかり押さえている。

 

古き良き英国らしさが気持ちのいいほど「ない」

 実際、ダウントンと同様、見どころの一つは美術と衣裳である。「1937年、ハリウッド志向のイングリッシュネス」というコンセプトの美術と衣裳がとにかく眼福を与えてくれる。

 メインの舞台となるお屋敷は白亜のアールデコ建築。お決まりの「1930年代の英国らしさ」が気持ちのいいほど「ない」。ジョルトウィンズにある前衛的で現実ばなれした建築は、オリバー・ヒル(1887―1968)の手によるもの。インテリアも部屋ごとに意匠が凝らされており、鮮やかな壁紙やユニークな家具、誇張されたアヴァンギャルドな庭園が、「古き良きイギリスらしさ」への期待を小気味よく裏切ってくる。美術担当はジョン・ポール・ケリー。『ロスト・プリンス~悲劇の英国プリンス物語』(2003)でエミー賞と英国アカデミー賞を受賞している実力派である。

 衣裳はさらに見ごたえがある。幽霊のエルヴィラ(レスリー・マン)は、従来の舞台では白い服を着せられて人間との差別化がされていたが、この映画では逆に、赤と黒とオフホワイトを中心とする強い色合いの衣裳の数々で、人間との差別化がはかられている。

レスリー・マン演じる最初の妻エルヴィラ

 妻ルース(アイラ・フィッシャー)も30年代の流麗なラインをベースにした、当時のVogueから抜け出したような装いをくるくる着替えて登場する。ショッキングピンクという、30年代にイタリアで「発明」されたばかりの色の部屋着を着ていることから、彼女が時代の先端をいく感覚をもつ女性であることを伝えている。

アイラ・フィッシャー演じる妻のルース

 霊媒師のジュディ・デンチも、インド刺繍やターバン、フェザーをふんだんに用いたボヘミアン・ゴージャスと呼びたくなる装いとアクセサリーで完全装備し、役を楽しんでいることが伝わってくる。

霊媒師役のジュディ・デンチ

 衣裳デザイナーはシャーロット・ウォルター。インタビュー動画によると、イギリス中をリサーチして1930年代の服を買い付け、Vogueを筆頭に当時の雑誌を徹底的にリサーチした。80年前の生地は傷んでいるのでそのままでは使えず、集めた資料をもとに現代の観客にもアピールし、キャラクターの立ち位置を伝えるように作り上げたとのこと。その結果、流麗な30年代ゴージャスを現代に翻案した、2022年のファッションコレクションとしても通用するほど魅力的な衣裳ワールドが繰り広げられる。

 

原作者ノエル・カワードへのオマージュも

 メンズファッションにも注目したい。1930年代といえば20世紀のなかでも男性の装いがもっとも華やいだ時代である。ポイントの長い襟のシャツに幅広トラウザーズのスリーピースを合わせ、ポケットチーフを飾り、帽子を合わせる完璧な英国スタイルが、緑と白の美しいセットを背景に映える、映える。白亜の豪邸を背景に淡い色のスーツやジャケパンで決めた男たちが集うシーンは、この時代のメンズスタイルが好きな向きには必見であろう。

 主人公チャールズ(ダン・スティーブンス)は部屋着としてドレッシング・ガウン姿も披露するが、もちろん、原作者ノエル・カワードへのオマージュである。

主人公チャールズを演じるダン・スティーブンス

 ノエル・カワードは劇作家であったばかりでなく、俳優、作曲家、映画監督、国際的スターにして社交界のセレブリティとしても名を馳せていた。当時のファッションリーダー的存在でもあり、ショーン・コネリーがジェームズ・ボンド役に決まった時、コネリーはまずカワードのところへ相談に行っている。原作者のイアン・フレミングとも親しい仲で、フレミングは『007 ドクター・ノオ』のドクター・ノオ役をカワードに打診したという。カワードが「ノー、ノー、ノー、1000回ノー」と断った話はもはや伝説になっている。

 カワードといえばドレッシング・ガウン、というほど両者は強い連想で結びついているのだが、それはカワードが自作の『渦巻(Vortex)』(1924)の舞台においてドレッシング・ガウン姿でデカダンな難役を演じたばかりでなく、舞台を降りたメディアのインタビューでもドレッシング・ガウン姿でカメラの前に立った(横たわった)ことによる。

 舞台上の退廃貴族のイメージに、オフステージでの有閑プレイボーイのイメージが加わったドレッシング・ガウンは、カワードのトレードマークとなった。のちに「プレイボーイ」誌の発行人ヒュー・ヘフナーもそのイメージに便乗し、ドレッシング・ガウン姿で写真を撮らせることになる。

 現在、ロンドンのギルドホール・アートギャラリーでは「ノエル・カワード:アートとスタイル」展が開催されている(12月23日まで)。彼の象徴となったドレッシング・ガウンを筆頭に、『陽気な幽霊』の舞台衣装などが展示されている。

 80年前に輝いたカワードのウェルメイド・コメディは、綿密に練られ完成度が高すぎる点が、ハプニングやゆるい空気感をよしとする現代の感覚とは合わないかもしれない。しかし、この稀代の才能とレガシーを人類の宝とみなし、映画や舞台や展覧会を通して、現代に、そして未来に継承していこうとする現代イギリス人たちの敬意と愛情に基づいた圧倒的努力には、深い共感と豊かな感動をおぼえる。

 ……な~んて真面目に受け取ると、カワードに「なにごとも真剣に受け止めちゃいけない。入浴剤だけは別だけどね」とウィンクされつつ、たしなめられそうだ。ファーストクラスの人生を生き切ったカワードに敬意を表して軽やかに楽しみたい映画である。