ダイアナ妃生誕60年にあたる2021年。1986年、来日した妃のドレスをデザインしたYUKIこと鳥丸軍雪さんに当時のこと、イギリスに最も長く住む日本人としての思いを中野香織さんがインタビュー。 中編は鳥丸さんのドレスに込めた思いやヘッドバンドについて、来日時のダイアナ妃の貴重なコメントをご紹介します(全3回)。
文=中野香織
*新聞など大手メディアでは「ダイアナ元妃」と表記しますが、離婚後もPrincess of Wales の称号を保っていることと、「人々の心の王妃になりたい」という意志をくみとって、私の署名原稿ではすべて「ダイアナ妃」と表記しています。
最後の晩餐では、王室外交の慣例を破って着用
——ダイアナ妃は日本だけでなく、行く先々でその地の文化に敬意を払えるよう、細やかな気配りをされていましたよね。デザイナーに対する配慮が行き届いていることも、見ていてわかりました。
鳥丸 YUKIをプロモーションしてあげようというお気持ちが伝わってきました。日本に到着時、スーツを着ていらしたけれど、抱えていたハンドバッグは日本のライセンシーで作ったYUKIのハンドバッグでした。日本人が日本で買えるハンドバッグとして、あえて選んでいただいたのではないでしょうか?
お帰りのときも、本来ならば飛行機用にカジュアルな服に着替えるところ、最後までYUKIのドレスを着たままでした。YUKIのブルーのドレスを着て、タラップを上り、手をふりました。その写真が翌日の新聞に出ました。それだけデザイナーのことを考えてくださったのです。
——それまでの王室外交の慣例では、最後の晩餐会では自国イギリスのデザイナーの服を着るというパターンでしたよね。
鳥丸 はい、イギリス人以外のデザイナーの服を着る前例はありませんでした。だから最後の晩餐会では、ハーディ・エイミスかどなたか、有名なイギリス人デザイナーの服を着ると思っていました。
あと2日しかないというときに、国技館でイベントがあったんです。チャールズ皇太子のスピーチが終わり、降りてくるときにダイアナ妃と目があいました。10メートルくらいの距離がありましたが、大きな声で私の名を呼び、私の方へいらっしゃいました。
チャールズ皇太子が「家内のドレスを作ってくれてるんですね」と言ったら、ダイアナ妃が”It is yet to come”と言うのです。「まだ着てない、これからよ」。ということはその日の夜かな、と思ったらその夜も着ていませんでした。
半ばあきらめかけていた最後の夜。友人が「テレビを見ろ」と電話をかけてくるので見たら、車から降りてくるダイアナ妃が私のドレスを着ていらっしゃいました。表面上は平静を保っていましたが、心の中では「やった!」とガッツポーズをとっていました(笑)。
「大人の女性」に変化した画期的ドレス
——王室外交の慣例を破ってまで着てくださったなんて最高ですね。デザイナーとしてブルーのドレスに込めた思いはありますか?
鳥丸 西洋でイブニングドレスといえば、デコルテが開いているのが通例です。肌を出すことじたいがフェミニンでセクシーという美意識があります。日本は逆です。隠して女性の魅力を出すというフィロソフィーがあります。隠した方が淑やかでエレガントという着物の美意識が根強くあります。ダイアナ妃もそういった謙虚さをお持ちなので、あえて肌の露出を少なくしました。
——デコルテを覆い隠し、ジュエリーをつけなくても華やかさを出せるような装飾をつけたのもそういう意図があったのですね。
鳥丸 はい。イギリス人のジャーナリスト、スージー・メンケスは「YUKIのドレスによって、ダイアナ妃はフェアリー・プリンセスからステート・ウーマン(国家を代表する大人の女性)に変化した」と書きました。
——一人の女性の成長にまで関わる画期的ドレス、という評価ですね。
鳥丸 機能面も考えています。長くおなじ椅子に座ってもシワにならないように、実はイタリアのポリエステルを使っています。でも、ダイアナ妃は天皇陛下の前では「YUKIが日本のシルクで作ってくれたのです」と外交上の上手なウソを言いました。ご自身の立場からの責任感と深い思いやりの気持ちから出てきたことばです。