※本コンテンツは、2022年8月26日(金)、27日(土)に開催されたJBpress/JDIR主催「第1回 取締役会イノベーション」の特別講演「三井化学グループのコーポレートガバナンス改革 ~誇りを取り戻す戦いから揺るぎない存在感を目指して~」の内容を採録したものです。
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3期連続の赤字から抜本的な構造改革を断行しV字回復へ
三井化学グループは、今後目指すべき付加価値の高い事業の成長領域として「ライフ&ヘルスケア・ソリューション」「モビリティソリューション」「ICTソリューション」の3分野を掲げ、さらに、従来からの石油化学・基礎化学を中心とした「ベーシック&グリーン・マテリアルズ」を加えた4部門で事業が構成されている。今後は成長領域のコア営業利益比率を高めていくのが目標だ。
三井化学グループの歴史は1912年、三井鉱山の化学事業から始まった。当時の社会課題であった人口急増加に伴う食糧問題に貢献するため、石炭事業の副産物である排出ガスから肥料原料の製造を開始したのである。1958年には日本で初めての石油化学コンビナートを建設し、日本の産業化、発展に貢献してきた。
また同社は数々の合併を繰り返しながら、事業を拡大してきた。1968年には東洋高圧工業が三井化学工業を吸収合併し三井東圧化学に。1997年には三井石油化学工業と三井東圧化学が合併し、三井化学が設立された。
加えて、グループ外の企業のM&A(合併・買収)も積極的に行ってきた歴史がある。2000年には武田薬品工業のポリウレタン材料事業を統合、2005年には出光興産のポリオレフィン事業を統合、そして2007年には第一三共から農業化学品事業を買収、さらには2013年に独へレウス・ホールディングから歯科材料事業を買収した。直近では2022年にMeiji Seikaファルマの農業事業を買収するなど、これまで数々のM&Aを積み重ね事業を拡大してきた。
三井化学グループの業績推移は、2006年に当時の過去最高の営業利益917億円を計上したものの、リーマンショックやソブリンリスクなどの影響により、3期連続で赤字になるほどに業績が低迷。三井化学 代表取締役会長の淡輪敏氏はこう当時を振り返る。
「リーマンショックで原油価格は急落し、NY株は過去最大の下げとなり、その後、中国が景気対策として石油化学分野への投資を強化したため、ウレタン、フェノール、高純度テレフタル酸など、当社がそれまで強みとしていた領域が苦境に陥りました。私が社長に就任したのは2014年ですが、まずは赤字からの脱却、そして無配となっていた配当を復活させ、安定した業績に推移していくための抜本的構造改革、ポートフォリオの転換を実現させていく必要がありました」
プラントの稼働停止、海外合弁事業からの撤退など、さまざまな施策を進めたが、中でも大きな決断は、ウレタン製造の主力拠点である鹿島工場の閉鎖だ。
「その頃の多くの社員は自信を喪失し、指示待ちの状態に陥っていました。私は社長就任時、『これから行っていくことは三井化学の失った誇りを取り戻す戦いだ』と、従業員の士気を鼓舞していきました。製造業の経営者として、1つの工場を閉めることの重さ、あらゆる選択肢を検討の上、鹿島工場の閉鎖は『未来へ進むためにはやらなければならない』と、まさに断腸の思いで決断しました。従業員への説明は悩みましたが『甘い言葉でその場しのぎの懐柔だけはすまい』との思いを胸に、現地での対話を重ねていきました」
当時、組織文化をどう変えていくかというのは、非常に大きなテーマだったが、淡輪氏は「組織の風通し」が明るさにつながり、明るさに人と情報が集まると説いたという。風通しをよくするには「任せ切る」、そして知識や見識だけでなくそれを実行に移す「胆力」が大切と考え、従業員に伝えるとともに、自身もそれを念頭に構造改革を推し進めていった。