比企氏と源家の意外な繋がり

 比企尼には三人の娘がいた。比企尼は娘たちを坂東の有力者に嫁がせて、女婿たちに流人時代の頼朝を扶助するように命じている。

 長女の丹後内侍(たんごのないし)は、野添義弘演じる安達盛長の妻となった。盛長は、頼朝の流人時代から頼朝に仕えており、頼朝の死後、十三人の合議制のメンバーに選ばれている。

 盛長と丹後内侍の間に生まれた娘は、迫田孝也演じる源範頼(頼朝の異母弟)の室となった。

 次女は、秩父平氏の一族である河越重頼に嫁いだ。二人の娘は、源義経の室となった。

 三女は、初めは浅野和之が演じた伊東祐親(北条義時の祖父)の次男・伊東祐清に嫁いだ。

 祐清は、父・祐親が頼朝を殺害しようとした際に、父の計画を頼朝に通報して一命を救ったとされる。比企尼の三女は伊東祐清の死後、平賀義信に再嫁した。

 比企尼には跡継ぎの男子がいなかったらしく、時期は定かでないが、甥の比企能員を猶子としている。

 

比企尼の献身に報いた頼朝

 治承4年(1180)、鎌倉に入り幕府の基礎を築いた頼朝は、比企尼を呼び寄せ、鎌倉に住まわせている。その地は、比企谷(ひきがやつ)と称された。

 頼朝の妻・北条政子は比企尼宅を産所とし、寿永元年(1182)7月に頼朝の嫡男・源頼家を出産、頼家の乳母には、前述の比企尼の次女(河越重頼室)と平賀義信に再嫁した三女、比企能員の妻が任じられた。

『吾妻鏡』寿永元年(1182)10月17日条によれば、比企尼の恩に報い、能員は頼家の乳母夫に指名されたという。

 さらに、能員の娘・若狭局が頼家に嫁ぎ、建久9年(1198)に一幡を産んだ。頼家は比企能員の一族に囲まれ、さらに比企の血を引く後継者が誕生したことになる。

 頼朝の死後、十三人の合議制が発足し、能員もメンバーに選ばれている。

 能員は二代将軍・頼家の外戚として勢力をふるったが、頼朝と政子の次男・千幡(源実朝)を後見し、千幡を鎌倉殿の座につけたいと望む北条氏と対立を深めていく。

 そうして勃発したのが、比企氏の乱、あるいは比企能員の変などと称される事件である。