「小さい子を教えたい」
グランプリ東海で長年、指導にあたるうち、どうしても大きな大会で活躍するクラブのトップレベルの選手の指導が中心になっていたという。
「トップの選手を見るようになってきていて、そのために小さい子たちのほんとうに大事な時期を見ることができなくなっていました」
輪をかけたのが、新型コロナウイルスだった。海外の大会についていくと、帰国時に一定の隔離期間を要する。
「よけいに選手を見られなくなったし、試合にもついて行ってあげられなくなっていました」
決して、トップレベルで活躍する選手を見る立場を否定しているわけではない。
「上手な選手を見ることで勉強にもなりますし、いろいろな世界を見られるという点もあります。もともとコーチになった頃には『こういう試合に行きたい』というような思いもありました。ただ、ここまでコーチをやってきて、そこそこ勉強させてもらったという思いもありますし、何よりも、初心に戻って小さい子たちを育てていきたいという思いが強くなりました。磨けるときに磨きたい、コーチとしてそこをやりたいな、と」
だから順序としては、「小さい子を教えたい」という思いが最初にあって独立を決意したことになる。
「そうですね。クラブを立ち上げるというのは、その後の話です。というのも、試合に出るには、選手は所属しているところがなければなりません。高校生や大学生なら学校という選択肢があるけれど、小さい子はクラブが必要になります。そのためにクラブを立ち上げました」
準備万端整えて独立へ、と踏み切ったわけではないことは、次の話にうかがえる。
グランプリ東海には、名古屋スポーツセンターという拠点があり、さらに中京大学のスケートリンクも練習の場所として活用できていた。
「これからは滑らせてもらえるところで滑ろう、という感じです。貸し切り練習をどうするかなど、環境的には決していいわけではありません。今までリンクもあって、何不自由なくできていたのはたしかですが、その中でいろいろな先生がリンクを渡り歩いて育てているのも見てきて、すごいなと思っていました。『私も頑張ります』という思いですね」
生徒やアシスタントも募集している最中だ。
「選手はあいまいな言い方になりますが、今、4、5人くらいです。グランプリ東海から連れてきた選手はいませんし、そうしようとも考えていなかった。1人で出てきました。アシスタントに応募してくれている人たちもいます。ただ、まだ話まではできていません」
発表のひと月前の頃までは、迷いもあった。
「クラブの来年度のことをやらなければ、という思いと、独立しようという思いと、悩んでいました」
それでも、踏み切った。「小さいときから選手を見たい」、その思いが勝った。
話を聞くうちに、1人の選手の顔が浮かび、尋ねた。
——宇野昌磨選手のように?
まさに小さな頃から見てきたのが宇野だ。すると「そうですね」とうなづき、話を続けた。(続く)
樋口美穂子(ひぐちみほこ)
山田満知子コーチのもとでフィギュアスケーターとして活躍し1981年の全日本ジュニア選手権2位、全日本選手権出場などの成績を残す。二十歳で引退し、山田のもとでコーチとなる。2022年世界選手権で優勝しオリンピックでも2大会連続メダルを獲得した宇野昌磨をはじめ、数々の選手の指導にあたる。また振り付けも数多く手がけている。