決して現実を歪めることなく、徹頭徹尾フェアな視点で社会の分断をあぶり出す、日本では数少ない若手ノンフィクションライターのひとり、石戸諭さん。後編では彼の仕事における流儀と、その「軸」にあるものを探る。

石戸諭、ビスポークとギャルソンを語る(前編)

写真・文/山下英介 撮影協力/OUR OUR

後編は浅草橋の複合カフェ「OUR OUR(アウァ)」で取材。石戸諭さんのプロフィールは、インタビューの最後を参照

スポーツライター志望だった学生時代

──ファッションやロックを楽しそうに語る石戸さんを見ていると、どうしてこの人がいわゆるジャーナリズムの世界にいるのか、不思議に感じてしまいます。もともとはファッションや音楽誌志望だったとか?

石戸:いや、実は『スポーツ グラフィック ナンバー』が好きで、学生の頃はスポーツライターになりたかったんですよ。

──え、スニーカーのイメージは全くありませんが(笑)。

石戸:確かに普段は革靴しか履きませんが(笑)、スポーツは見るのもやるのも好きで、だいぶ前は長距離ランナーだったこともあるんですよ。あとはサッカーも好きですね。Jリーグも長年追いかけています。『ナンバー』の編集者にも驚かれましたが、今でももっとスポーツを描いてみたい、とは思っているんですよ。

──それで毎日新聞社に入社した、ということですか?

石戸:出版社に入りたかったのですが、とても狭き門で、落ち続けてしまい、それならば出版部門のある新聞社に行けばいいかな、と。でもちょっと姑息な考えもあって、編集部門だと採用人数が限られるけれど、記者ならば100人単位で採用していたので、こっちのほうが可能性があるな、と思ったわけです。当時はリーマンショック前で、ちょうど団塊世代の定年のタイミングに重なったこともあり、ラッキーなことに大量採用時代だったんですよ。それでも僕は、補欠採用みたいな扱いでしたけれど。

 入社したときはスポーツ系に行くか、ファッションに行くか、それか文化部で論壇に関わるのもいいな……なんて目論んでいたのですが、あっという間に仕事が押し寄せてきて、流されてしまいましたね。

──確か岡山支局で働かれていたんですよね?

石戸:岡山には5年いたんですが、そのうち4年半は「事件担」、俗にいう事件記者でした。業界の言葉で言うとサツ回りの仕事ですね。で、その次は大阪社会部に異動です。しまった、一切希望していないのに……みたいな感じですが、当時取材で知り合った人たちが、今になってからいろいろ助けてくれるので何が人生で幸いするかわからないものです。〝NUDE:MM〟との付き合いも大阪時代の取材から始まっていますね。

──じゃあ、こういう仕事をしていることは、石戸さんにとっては予想外のことだったんですね。

石戸:全然思ってないですよ。社会部に行ったら行ったで厳しくて、モッズみたいな格好で本社に行ったら怒られましたし。デニムじゃなければいいんでしょ?と言い張って、めちゃくちゃ細いスラックスをはいていましたね。もはや遠い過去ですが。

〝コム・デ・ギャルソン〟のジャケットにハーフパンツ、石戸さんが前編で紹介してくれた〝NUDE:MM〟のカットソー、〝アヤメ〟のソックス、〝フット・ザ・コーチャー〟のラバーソール。前編のビスポークジャケットとはかなり趣を異にするモードなスタイルだが、これもまた似合っている。実はすべてのワードローブが、確かな生産背景を持つ日本のブランドだ

〝美術館〟と〝博物館〟の違い

──仕事において影響を受けた人とかはいるんですか?

石戸:もともとノンフィクションが好きでしたね。今はなき『月刊現代』や『月刊プレイボーイ』などは学生時代から読んでいましたが、誰の影響を受けたかというと、やはり沢木耕太郎さんです。その存在は『ナンバー』を通して知りましたが、大学生時代に文藝春秋社から出版された全集(『沢木耕太郎ノンフィクション』)を読んで、『深夜特急』でもスポーツでもない、沢木耕太郎のルポルタージュに衝撃を受けたわけです。以来僕も、そういう仕事を目指してきました。最近ではたまにお会いする機会もあるので、とても嬉しいですね。

──私たちのようなファッションエディターは、美しい写真や文章をつくるのが仕事ですから、うまくいったときには確実に達成感やカタルシスを味わえるわけです。でも石戸さんのようなノンフィクションライターの場合、どんなに取材を尽くしても、最終的な結論が〝絶望〟で終わることも多いですよね? その楽しさって、どこにあるのでしょうか?

石戸:ファッションが〝美術館〟的な仕事だとすれば、僕がやっているのは〝博物館〟的な仕事なんです。美術館は美しい作品を展示しますが、博物館は美しいものだけではなく、事物や人間のいろんな側面を伝えています。現実の世界は、僕の想像などはるかに超えた複雑なもの。そのことに直面した瞬間は、何があっても楽しいですよ。

──なるほど、〝美術館〟と〝博物館〟ですか! それはよくわかります。でも、有名なノンフィクションライターやジャーナリストでも、ときに「こうであってほしい」という思い入れで、現実を歪めてしまう人も多いですよね? 佐野眞一さんしかり、上杉隆さんしかり。

石戸:名前を挙げていただいたおふた方とも尊敬できる仕事はあるのですが、僕とは違うなと思っています。事実には、実直に向き合う必要がありますよね。社会的地位やポストがほしいのか、表現することが〝手段〟になってしまっている人もいます。僕はそういうやり方にはまったく興味がなくて、作品をきっちり描きたいんですよね。手段化の行き着く先が悪い意味での信者ビジネスですが、それでは『ゲンロン戦記』のなかで、東浩紀さんが強調していたように「観客」は育ちません。

2021年の春夏コレクションで発表された〝コム・デ・ギャルソン〟のジャケットは、二枚重ねしたラペルや、異素材で切り換えた袖がかなりユニーク。石戸さんはこのジャケットから、ほかにはない高揚感と同時に、安心して着られるクラシック性を感じるという

──でも、石戸さんの場合「右」「左」両陣営にとって無視できない存在ですから、取り込もう、という勢力もあるのでは?

石戸:相手にされていないだけかもしれませんが、ないですね。誰かとつるんだりもしませんし。僕の目的は、自分で調べて書く、という「仕事」だけです。この「仕事」であるという点がとても大切で、それによって、自分が相手にとってのよそ者、第三者になれるわけですから。

 僕の場合、おかげさまで仕事がそれなりにあるので 、組織やポストに関心をもたずに仕事をできているのかもしれません。かつて沢木耕太郎さんは、TBSが出版していた雑誌『調査情報』を根城にしていました。『調査情報』はもうないけれど、僕にとっては『ニューズウィーク 日本版』がそういう場所になっていて、すごい量と質の仕事をさせてもらっています。売り上げも評判もついてくるようになって、最近では『文藝春秋』にも書けるようになりました。やりたいことをやらせてもらえる環境ができたのは、とても嬉しいことですね。

──『ニューズウィーク 日本版』の表紙に名前をクレジットされるライターなんて、そういないですからね。同世代はもちろん、下の世代でも同じような仕事をできているライターやジャーナリストも見当たりませんし。

石戸:ひと昔前は僕と同世代の書き手がもてはやされていましたね。僕が独立したときにはムーブメントは終わっていましたが、そこに乗ってもしかたなかったなと思っています。

 

取材はやってみないとわからない!

──作家の百田尚樹さんをテーマにしたルポ(『ルポ 百田尚樹現象:愛国ポピュリズムの現在地』/小学館)がとても印象的なのですが、取材対象者との距離の取り方に驚かされました。

石戸:もちろん、個人的には思うところはありますよ。それは初出の『ニューズウィーク日本版』から書いているように、彼と僕では考え方はまったく違います。でも、まずはいったん私情を脇に置いて、可能な限り決めつけずに取材するわけです。やってみないとわかりませんから。

──こういう取材は往々にして発表後にトラブルになるケースが多いですが、あれだけのことを書いても、百田さんが後でどこかで文句を言ったような形跡は見られませんでしたね。

石戸:大きいのは、そう言わせないような取材を心がけているということだと思いますよ。

──〝言わせない〟取材!

石戸:切り取り、だまし討ち、言いくるめ、文脈無視、そういった卑怯な取材は一切していませんから、後で何か言われても正々堂々と反論できるんです。ひとつでも踏み外しちゃうと、反論ができなくなりますから。新聞だったら行数のせいにもできるんですが、あれだけの長文だったら言い訳はできませんよね。

──確かに! ただ、あの取材はなぜかいわゆるリベラル側から、「百田尚樹をまともに取り上げるなんて」とか、「期待していたのに裏切られた」なんていう批判も多く寄せられましたよね。石戸さんのフェアな取材スタイルって、今の世の中においては、敵をつくることも多いと思うのですが。

石戸:僕に政治的な意見をはっきりさせてくださいとか、とにかく叩いてくださいと言われても困るのです。何を期待されているのかわかりませんが、そういうことで食っていくタイプの人間じゃないので、批判に対しては「そうですか」という程度ですね。

──批判の声は応えませんか?

石戸:なにも。別にむやみに炎上させたいわけじゃないから、面倒だなあ、とは思うくらいです。今は政治的にはっきりとした態度を求められがちだけれど、残念ながらそれは僕の役割ではないので、そういうのは政治家とか運動家に求めてほしいですね。

テレビ番組にゲストコメンターとして招かれることも多くなった石戸さんだが、2021年2月には、哲学者の東浩紀さんが運営する動画プラットフォーム「シラス」にて、自らのチャンネル『石戸諭の〈ニュース〉の未来』を開設。フォロワー数やPV数にとらわれない、上質な知の生態系をつくろうと模索している

──ハートが強いなあ(笑)。

石戸:別に強くないですよ。まあ慣れです。ツイッターやネットの基本ルールは「そういうことを僕に言われても」というのはミュート、罵詈雑言はブロック、一線を超えた人とは直接コミュニケーションをとることもあります。それでたいていはどうにかなります。

──ちょっと前にそういう事件がありましたもんね。大変だなあ、と思って見てました(笑)。

 

石戸諭が考える「かっこいい人」とは?

ゼロ年代を代表する批評家にして哲学者の東浩紀さんが、自身の経営する会社「ゲンロン」の歴史を振り返る著書『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』(中公新書ラクレ)。石戸さんが聞き手と構成を手がけたこの新書は、世代や職業を超えて異例の大ヒットを続けている。「三国志のように面白い」という帯のアオリ文は、決して伊達ではない!

──話は変わりますが、今まで会ってきたなかでカッコいいな、と思った人はいますか?

石戸:沢木耕太郎さんは何度かお会いしましたが、カッコいいですよ。いい意味で、古い時代のダンディズム、ご自身の規範を持って生きている方だと思っています。

──雑誌『群像』(講談社)の2020年5月号でインタビューされていた、佐野元春さんはどんな方でしたか?

石戸:佐野さんは当然昔から知っていましたが、いわゆる世代ではないので、熱心に聞いているというほどではありませんでした。インタビューの話がきてから、改めてすべて聞いたのですが、ものすごくいいんです。しかも、今のほうがいい。

 あれほどの存在になったら、過去のベストヒットだけをライブで演奏するようなやりかたもあったと思いますが、彼はそれをよしとせずに、バンドを変えて、歌詞や音楽性も変えながら、さらに新しいもの、クオリティの高いものをつくろうとしています。ご本人の人柄も知的かつ紳士的で、ファッションに関しても60歳を超えてからダブルのライダースを着たりして、とてもカッコいい。あらためて好きになっちゃいましたね。

──ふたりにはちょっと共通する雰囲気がありますね!

石戸:佐野さんにも沢木さんにも、よくも悪くも期待される役割があって、その一部は引き受けているものの、それでも新しいことをやろうとしていますよね。偉い人になりたいというより、新しい作品をつくりたい、というクリエイティブな姿勢を保ち続けています。素直に素晴らしいと思うのです。

 海外でいえば、ポール・ウェラーにも同じような姿勢を感じます。〝モッズの父〟と呼ばれるほどの存在なので、十分信者ビジネスで食えるのに、そんなことをまったく良しとしない。しかも、それでヒットしている。信じられないですよね。最近のアルバムは、ことごとくいいじゃないですか。昨年リリースした『On Sunset』は僕にとって2020年のベストアルバムです。

 

基礎があるから、冒険できる

──佐野元春と沢木耕太郎に、ポール・ウェラーですか! ファッションや音楽といった趣味の世界から、仕事のやり方にいたるまで、石戸さんのスタイルからは、一貫した軸のようなものを感じますね。

石戸:しっかりとした軸をもった人やモノが好きなんでしょうね。基礎があるからこそ、冒険ができるわけですから。基礎をおろそかにしたり、ビジネス度外視でただ冒険したりするだけのものには、ついていけないですよ。

──やっぱり基礎が大事、と。

石戸:それがないとブレちゃいますから。僕の場合は新聞社で、数多くの場数を踏むことによって、取材に対する姿勢やテクニックを叩き込まれ、それが仕事の基礎になっています。たとえば落語なら個性が問われるのは真打以降で、前座から二ツ目までは徹底的に基礎的なトレーニングを積み重ねるわけですが、その積み重ねの中から、個性が自然と形成され、滲み出てきたりします。そういうことってどの業界でもありますよね?

──確かにそうですね。誰もが基礎は学ぶし、それが大事だということもわかってはいるんですが、人間って弱いから、ついつい踏み外しちゃうんですよね。

石戸:沢木さんも、川久保さんも、「LOUD GARDEN」の岡田さんも、僕が好きな人って絶対に踏み外していないんです。だから「なるほど、こういうときはこういう展開をするんだ」とか、すごく参考になる。当然僕と同じキャリアの人はいないので、人生のロールモデルなんて存在しませんが、そんなふうに軸を持つ人たちの生き方から、僕は多くを学んでいるんです。

自らの愛するファッション文化を少しでも守るために、今回の取材を請けてくれた石戸さん。個性的なスタイルや語り口とは裏腹に、誰よりも仕事の基礎や義理人情を大切にする、まさに〝クラシックな男〟であった

PROFILE
いしど・さとる(ノンフィクションライター)

1984年生まれ。毎日新聞社、BuzzFeed Japanを経て、2018年にフリーランスのノンフィクションライターとして独立。「サンデー毎日」「ニューズウィーク日本版」「文藝春秋」などの媒体で執筆するとともに、著書『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)や、構成を手がけた『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』(中公新書ラクレ)をヒットさせる。2021年より、動画配信プラットフォーム「シラス」にて、ニュースの未来を語る番組を開設。