作家・平野啓一郎氏が〝20世紀後半を支配した価値〟と喝破した「カッコいい」という概念を、各界の異才たちへのインタビューを通して研究する本連載。俳優・井浦 新氏に続く第2弾は、今最も世間を賑わす「文春砲」の生みの親、『週刊文春』編集局長の新谷 学さん! マニアも驚かせるファッション愛から、編集者人生で出会った「カッコいい人」「カッコ悪い人」、そしてこれからのメディアの存在意義にいたるまで、余すところなく語っていただいた。

写真/長山一樹(S-14) ヘア/hiro TSUKUI(Perle Management)  
メイク/Ikumi Shirakawa(Perle Management) 文=山下英介 

〝ブルックス ブラザーズ〟が誇る名品のポロカラーシャツに、ストライプ柄が右下がりになったブラック&ホワイトのレップストライプタイ。まさに王道のアメリカントラディショナルだが、胸ポケットの上にはなんと『週刊文春』のアイデンティティである「SCOOP!」の刺繍が!これは2020年春に期間限定で展開していた、カスタムサービスフェアで入れた1点ものだが、9月にオープンする表参道店でも同様のサービスを展開する予定

お洒落の「文春砲」、炸裂!

 今や衰退の一途を辿る紙の雑誌業界において、唯一の希望の星といえる存在が、ご存知『週刊文春』だ。発行部数は50万部超。出版界がコロナ禍に喘ぐ2020年においてもスクープを連発、すでに3回もの完売を記録している(2020年8月末日現在)。この圧倒的なメディアとしてのエネルギーを生み出した張本人こそが、2012年から2018年まで編集長として活躍し、現在は株式会社文藝春秋の執行役員を務める新谷 学さんである。

 今やマスコミ業界のみならずビジネス界においても注目の的となった新谷さんだが、実は彼にはもうひとつの顔がある。それは出会った人の誰もが驚くお洒落ぶり。筆者はファッション業界で20年以上生きているが、正直いってこれほどまでにトラディショナルな装いを見事にこなす編集者やスタイリストには一度も会ったことがない。しかも知識においても玄人級……いや私たちの業界でいうところの〝変態〟級だからおそれいる。なんと大学生時代は、〝ブルックス ブラザーズ〟でアルバイトをしていたという筋金入りだ。

この人にもっとファッションについての話を聞いてみたい! そしてそのお洒落ぶりを世の中にスクープせねば! ……そんな筆者の思いから、この日のインタビューが実現した。

 撮影にあたってたくさんの私服を用意してくれた新谷さんだが、相談のうえ選んだのはヘリンボーンツイードのスリーピーススーツと、そのジャケットを単品使いしてチノパンに合わせたスタイル。どのワードローブも実にいい雰囲気に育っていて、彼の洋服への愛情を裏付ける。まずはその〝変態〟ぶりをご覧あれ!


 

2019年にパーソナルオーダーしたという〝ブルックス ブラザーズ〟のスリーピーススーツ。現代ではなかなか流通していない重厚なグレーのヘリンボーンツイード生地と、1901年に生まれた同社の代表的デザイン『NO.1サックスーツ』との組み合わせは、実にクラシカルだ。細身かつやや短丈のトラウザースと〝トリッカーズ〟のカントリーブーツとの組み合わせにいたっては、あたかもNetflixで話題の英国ドラマ『ピーキー・ブラインダーズ』の世界。ベーシックなのに見る人が見れば、明らかにただものではない!

──このスーツ、まるで1920年代を彷彿させるスタイルでカッコいいですね!

新谷:これはハリスツイードの分厚いヘリンボーン柄生地を使って、〝ブルックス ブラザーズ〟に仕立ててもらったんです。本来はスーツ用には展開していないジャケット用の生地なのですが、どうしても古きよきブルックスの薫りがするクラシカルなスリーピーススーツがほしい!と頼み込んでつくってもらいました。もともとツイードは好きだったのですが、年齢を重ねるに従って絞り込まれてきて、最近はヘリンボーン派。白×黒の生地に合わせて足元やVゾーンもモノトーンにすることで、素材のよさが浮かび上がってくるようなコーディネートにしています。ジャケットだけバラして着ることもできるし、使い勝手がいいんですよ。

──合わせていらしたウエスタンシャツやチノパンも、ものすごい年季が入ってましたね! ヴィンテージ加工ものですか?

新谷:いえ、天然です(笑)。私は1989年に大学を卒業したのですが、その卒業旅行で〝ブルックス ブラザーズ〟のアルバイト仲間とふたりで、初めてアメリカに行ったんです。レンタカーを借りてロスからN.Y.まで、1か月半くらい旅をしながら、いろいろと買い物をしまくったのですが、あの〝ラングラー〟のデニムシャツは、サンディエゴの古いウエスタン系洋品店で、ガラスケースの中に入っていたもの。もともとは新品で真っ青のパリパリだったのですが、着込んでいくうちに色は落ちて襟もボロボロになって、自分で古着にしちゃいましたね。実はあまり古着は好きじゃなくて、自分とともにエイジングさせたいんです。モノと物語を共有することで、はじめて「宝物」になるんですよね。

 チノパンは1990年代に「原宿キャシディ」で買った〝バリー・ブリッケン〟。私が考える究極のチノパンはウディ・アレンが『アニー・ホール』ではいていた〝ラルフ ローレン〟なのですが、2プリーツでウォッチポケット付きのこれは、その理想像にかなり近いものでした。銀座のリフォームサロン「サルト」で丈を変えたりして、長年はき続けています。

──洋服を大事にされるんですね!

新谷:気に入ったものはやっぱり捨てられないんですよ。今日スタジオに着てきた〝ラコステ〟のポロシャツも、大学1年生のときに「ビームス」で買ったマイ・ファースト・フレンチラコ(フランス製の〝ラコステ〟)です。今や30数枚の〝ラコステ〟を持っているのですが、フランス製が10枚、〝アイゾット〟(アメリカでライセンス生産されていたもの)をはじめとする海外製が10枚、日本製が10枚、といった具合でそろえていて、それぞれの経年変化を楽しんでいます。なかでも丈夫でいい味が出るのがフレンチラコ。へたるけど、破れはしないというか。国産は型崩れこそしないものの、味の出方がちょっと違うんですよね。

──体型もそうですが、趣味自体が全く変わってないんですね!

新谷:好きなものはブレないですね。

 

ブルックスから文藝春秋へ

祖父の形見だという〝グランドセイコー〟は、1964年に発表されたセカンドモデルの『Ref.5722』。かなり経年変化しているが、多面カットが施された針やインデックスは、今もなおキリリと精悍な表情を見せている

──ファッションの目覚めはいつだったんですか?

新谷:高校1年生のときに出会った親友が『メンズクラブ』や『ポパイ』を読みまくっていて、その影響でハマったんです。1980年頃といえば、〝ボートハウス〟の時代ですよね。休日になると一緒に買い物に出かけて、〝ボートハウス〟や〝シップス〟のお店に並んで、ロゴ入りのトレーナーを手に入れていました。

──1980年頃といえば、まさに第二次アイビーブーム。「ビームス」のカリスマクリエイティブディレクター、中村達也さんと同世代ということになりますね。

新谷:中村達也さんとは話がすごく合いますよ(笑)。同じ風景を見てきたんですよね。

──そんなファッション好きが高じて、大学生時代は〝ブルックス ブラザーズ〟でアルバイトまでされてしまうわけですね。

新谷:早稲田大学でヨット部にいたんですが、ちょうど先輩がアルバイトをしていたので、頼み込んで紹介してもらったんです。最後の1年間はほとんど大学に行かないで、社員と同じように働いていましたね(笑)。最初は青山店の裏方仕事だったのですが、接客をしはじめたらそれが上手だったのか、新宿伊勢丹店の店長にすごく気に入られて、最後はかなり優秀な販売員になっていました。そのまま就職しろとまで言われたのですが、すでに文藝春秋の内定が出ていたので、結局断ってしまいました。売るのは得意だったんだよね、昔から(笑)。

──もともと『文藝春秋』や『週刊文春』をやりたくて就職したんですか?

新谷:もともとお笑い番組が好きで、テレビ局に入りたかったんですよ。そしたら最終面接で落ちちゃって、慌てて入社試験の遅い文藝春秋を受けたんです(笑)。

──ではそこからファッションの趣味は封印されることになるんですね。

新谷:いや、関係ないこともなくて、『マルコポーロ』という雑誌にいたときは一応ファッション担当でした。山本康一郎さんのスタイリングで、レニングラード・カウボーイズに〝コム・デ・ギャルソン〟を着せてファッションページをつくったり、写真・高橋恭司、スタイリング・北村道子で表紙を撮ったり、すごく楽しかったですね。

──なるほど、昔からクセの強いスタッフと仕事をされてきたんですね!

新谷:だって当時人気絶頂だった内田有紀さんを表紙にしたとき(1994年)、北村さんと打ち合わせしたら「うーん、やっぱり学ランよね」っていきなり言うわけ。意味わかんね〜って(笑)。そしたら北村さん、偶然ゴミ箱に落ちていた学ランを拾ってきて、袖を切ってボタンを全部取って、洗濯機で数百回も洗って持ってきたんです。そんなベストみたいになったズタボロの学ランを、北村さんが裸の内田さんに着せて、柘植伊佐夫さんがヘアメイクして、高橋さんが8×10のカメラで撮る。まるで宗教画みたいな、すごい表紙でしたね。

──狂ってますね(笑)。

新谷:やらされ仕事とかは面白くないですからね。それぞれのスタッフの熱量がほとばしってぶつかりあってスパークして、想像もしないような化学反応が起きる。私はそれによって生み出されるものにものすごく興奮するし、喜びを感じる。最近あらゆる仕事が予定調和になっているじゃないですか。ファッション雑誌の世界でも、こんな人出して、こんな写真で、こんな文章が載っていれば、まあカッコつくからいいよね、みんな安心、みたいな。でも面白くはないよね。私はそういう仕事はしてこなかったし、そういう仕事をする人とはやってもあまり楽しくないかな。

──そういう世の中を驚かせる仕事をし続けてきた新谷さんが、ファッションは一番ベーシックな〝ブルックス ブラザーズ〟を好んでいるところが面白いですよね。ちょっとアンディ・ウォーホール的というか。

新谷:ああ、確かにそうですね。私は洋服にも、仕事にも、生き方そのものにおいても、変えてもいい部分と絶対に変えてはいけない部分……軸や幹のようなものがあると思っているんです。そういう意味では、〝ブルックス ブラザーズ〟は自分のスタイルの根幹にあるものなんですよね。

──そういうブランドが今とても困難な状態に陥っていますが、どう思われますか?

新谷:アメリカでの破綻というのは、ショックでしたね。ただ、最近ではあまりよくない意味でイタリア化していた部分もあったと思うんです。やっぱりアメリカのブランドなわけですから、古きよき〝ブルックス ブラザーズ〟を理解してくれる人をオーナーに戴いて、もう一度原点回帰してほしいな、と思います。

──もともとラルフ・ローレンさんも〝ブルックス〟出身ですし、本当にアメリカントラッドの原点ですよね。

新谷:そう。彼はネクタイ売り場で働いていました。もちろん〝ラルフ ローレン〟も大好きですが、やっぱりオリジンである〝ブルックス〟あってこその〝ポロ〟。そういう意味でいえば、原点をブラさない人こそが今回のテーマである「カッコいい」人だと思うんですよね。

 急にお金持ちになって、〝リシャール・ミル〟の時計何個持ってるぜ、なんてカッコ悪いじゃんって。本当に好きで価値がわかって自分のものにしているならいいけれど、それを見せびらかしたり、それによって自分の価値を上げようとするのはちょっと違うかなって。ほとんど誰のこと言ってるかわかっちゃいますね(笑)。

 私が今日のスーツに合わせていた〝グランドセイコー〟の時計は、お祖父さんの形見なんです。私をとても可愛がってくれたお祖父さんが、一世一代の自分へのご褒美として買ったもので、亡くなった後に受け継いで、大事に大事に使っています。もらったのが小学4、5年生くらいの頃だから、まあ随分経ちますよね。もう銀座の「和光」でも修理できないと言われて、紹介してもらった職人さんのところで直してもらっていますが、本当の価値ってそういうことにあるんじゃないですか?

 そういえばこの間、豊田章男さんにお会いしたんですが、すごく味わい深い茶色のプレーントウを履かれていたんです。「いいですね、この靴」と褒めたら、「あ、これ〝オールデン〟なんですよ」と言われて、いいなあこの人って(笑)。靴なんて何万足だって買える人が、1足の〝オールデン〟にきれいなシワが入るまで履き込み、磨き込んでいる。今までのイメージが大きく変わりましたし、そんな人こそがカッコいいと思います。〝ブルックス ブラザーズ〟のモットーである「アンダーステイトメント(控えめさ)」と共通しますよね。