小説を一冊出した音楽家と、音楽が好きでミュージシャンに憧れをもつ小説家の対面である。2人のクリエイターは、音楽、ファッション、小説、趣味などについて語りあった。まずは平野さんが聴いたという、高橋さんのアルバム『Saravah Saravah!』についての話からスタートした。

構成=福留亮司 写真=安部英知 グルーミング=日高正勝

音楽とファッションの日々

高橋:40年も前につくったファースト・ソロ・アルバム『Saravah!』は、教授(※1)との共同プロデュースでした。そのアルバムのマルチトラックをもとに新たにヴォーカルを録り直し、ミックスダウンとマスタリングをやり直したのが『Saravah Saravah!』です。いま欧米では日本の1970~80年代のロック、ポップスが流行っていて、『Saravah!』も海外でイシューされるということで海外からのインタビューを受けたんですが、『Saravah!』は日本のシティポップのカテゴリに入っているんですって。カヴァー曲も数曲収録したアルバムなので、なぜあのような選曲をしたんですか、とかも訊かれたんですけど、たしかにシティポップと呼ばれるような曲もあったな、と。しかし、いま改めて聴き直すと、参加してくれているミュージシャンはみんな上手ですね。

平野:ホント、そうですね。凄腕ミュージシャンばかりですからね。

高橋:とくに細野さん(※2)のベースは改めてやっぱりスゴいなと。『Saravah!』は、「男と女」という映画に強く影響を受けています。で、役者として出演し、主題歌も担当したピエール・バルー(※3)とは、のちに一緒に仕事をしているんです。

平野:映画から喚起されたんですか。

高橋:そうなんです。そのころは洋服のデザイナーとしてもバリバリやっていたので、音楽、ファッションの両面で影響を受けましたね。

平野:当時はどういう状況だったのですか。

高橋:当時は服のブランド”BUZZ SHOP”や”BRICKS”をやっていたので、飛行機が嫌いなのにパリやミラノのコレクションに出かけて行ったり。

平野:その間に音楽の仕事もされていたんですよね。

高橋:やっていました。”Sadistic Mika Band”(サディスティック・ミカ・バンド)のツアー(※4)でロンドンに行った頃はグラムロックのシーンが流行っていましたし、80年前後にはニューウェイヴも出てきて、それはワクワクしましたね。あの頃はロンドンによく行っていました。1981年は自分のソロ・アルバムのレコーディングも含めて、アルバムを11枚もつくってるんですよ(笑)。

平野:スゴいですね。月に1枚、アルバムですか!

高橋:年間340日くらいスタジオにいたんじゃないですかね。

平野:それだけの数でしたら、何枚か同時進行だったんですか。

高橋:そうですね。81年はロンドンに半年くらいいましたね。

平野:スタッフもみんな向こうの人だったんですか。

高橋:もちろんロンドンではミュージシャンやエンジニアは向こうの人です。自分のレコーディングを中断してパリに行って加藤和彦(※5)さんのアルバム・レコーディングに参加したり、ロンドンに戻っても自分のアルバムが終わってから、ロビン・スコット(※6)に呼ばれて一緒にレコーディングしたりとか、いろいろやっていたんですよ。

平野:スゴいですね。あんまり寝なくても平気だったんですか。

高橋:元々神経症なタチなので、寝るのが怖かったりしたんですよ。いまでもそうなんですが。でも、歳を取ると幸いにも寝なくても済むようになるんです。眠りも浅いですし。