日本のカッコいいはズレている
平野:バンドをやるときは、何がカッコ悪いかということを共感できる部分がないと難しいですか。
高橋:まったくそうですね。逆にいうと、好きなもの、カッコいいと感じるものが似ている。必ずしもおなじ音楽が好きである必要はないんですけど、ある映像を見たり、音を聴いて、それを共感できるっていうのは大切かもしれないですね。ファッションもそうです。でも、カッコいいっていう定義は大切ですね。なぜか男はこだわりますからね。
平野:そうですよね。男らしさっていう概念も、ヨーロッパにはずっとあって、そこと連続している感じもありますね。
高橋:昔、ブライアン・フェリーにダンディって言われない、って聞いたら、それはシェークスピアの時代の言葉だよって(笑)。
平野:そう、ダンディっていまでも使うのは日本だけみたいです。今回本を書くときに、フランス人に訊いたら、やっぱり19世紀の言葉かな、って。
高橋:ジャパニーズダンディとか言われると、大丈夫なのかって(笑)。でも、まず存在感が重要ですよね。その人がいてくれる意味とか。
平野:人に会ったときは、雰囲気がすべてみたいな感じが最近していて、やっぱり大物然とした人もいるし、ぼくよりもずっと年下だけど妙に落ち着いてて、この人できる人だな、って最初の印象でわかるみたいな感じもあるんです。でも、それが何かはよくわからないです。雰囲気としか言いようがないですね。
高橋:人間が出すオーラみたいなものですね。オーラは、たくさん出せばいいものでもないんですが。
平野:高橋さんは、広い意味でポピュラーミュージックに携わっていると思うんですけど、それは時代の流れとともに存在するものだと思うんです。ザックリした質問ですけど、いまの時代の生き心地というか、居心地はいかがですか。
高橋:音楽的にですか。
平野:音楽的というのと、音楽を生み出そうとしたときに、その風景として、居心地というか、雰囲気というか。
高橋:いまは、あまり良くないかもしれませんね。ただ、日本の音楽シーンがホントに嘆くようなシーンなのかというと、そうでもないな、って気はしますね。世界的に見て、ですけど。若い世代から面白いものがたくさん出てきてますから。
平野:アメリカのチャートに入ってる音楽と日本の音楽を比べると、50~60年代のロックは、日本はかなり同時代的に積極的に受け入れましたが、ヒップホップを受容しそこなったっていう感じがあります。ロックは結局、都市部の労働者階級の息子たちがのめり込んでいって、そのメンタリティが日本人でもよくわかるっていうか、歌ってる歌詞の内容とか、ギターに対するフェティッシュな憧れとかっていうのがあったのかな、っていうような感じがするんですけど。でも、ヒップホップはニューヨークの郊外の貧困地区から出てきて、そこで歌われてる内容とか状況というのを、ちょっと80年代から90年代にかけての日本人が、うまく受け止め損なった。それによって世界的にヒップホップが席巻しているなかで、日本のなかのカッコいいがズレちゃってるんじゃないかと思うんです。
ミュージシャンは悪夢をみる
高橋:60年代にスティービー・ワンダーのような人たちが出てきたときは、めっちゃくちゃ上手くて、何だこれ、日本人には無理だよ黒人の音楽は、とか思いましたけど。昔、サディスティック・ミカ・バンドのときは出来るだけ向こうっぽくやろうと思ってたんですが、実際に外国の方が観たり聴いたりすると、すごいオリエンタルを感じるって言われてがっかりしました(笑)。彼らにとってはそれがよかったんでしょうけど。いまは当時の日本のロックやポップスをカッコいいと言って、シティポップというカテゴリで、向こうの音楽好きが日本のアナログレコードを買い集めたり、向こうのレーベルがリ・イシューしたりしていますが。
平野:やっぱり、真似してるって言われるよりは、結局は日本的って言われる方が......。
高橋:真似してたんですけどね、一所懸命(笑)。誰の影響っていうのはバレバレなんですよ。でも、解釈が独特みたいで。
平野:飽きないで、やり続けることは大事ですね。
高橋:いまでもひとつのところに留まらないで、新しいことをどんどんやりたいっていうのは変わらないです。全然新しいことではないかもしれないけど、自分にとって新しければいいんです。
平野:ぼくも、飽きっぽい方なんですけども、小説は飽きないんですね。
高橋:それはスゴいですね。僕も一冊、小説を出してるんですが、2冊目は180枚でやめました。それは続編だったんですけど、書いてるうちに2年ぐらい経って中味が古い話になっちゃって。
平野:本は書いて出版するまで年単位の時間がかかりますから、長いタイムスケールのなかで考えなければ。
高橋:普遍性が必要ですね。ぼくの場合、結局恋愛小説になっちゃうんです、遠回しの。もう絶対に向いてない(笑)。
平野:ぼくは音楽が好きで、ミュージシャンにずっと憧れていましたから、音楽家の人生っていまでも夢みることがありますけどね。
高橋:ぼくはものを書く人の人生の方が夢みるなぁ。
平野:いちばん違うのは、舞台に出るかどうかってことですね。ミスってどうこうっていうのは、小説の場合あまりないですから。おかしかったら書き直せばいいんです。自宅の作業なので。
高橋:唐突ですが、悪夢はみますか。
平野:悪夢ですか! ぼくは情けない平凡な夢しかみないんですけど。
高橋:つらいヤツはないんですか。ぼくは最近、わけわからずイヤな目覚めってのが多いんです。たんに歳のせいだと思うんですが。昔は、ステージに出て行ったら、ドラムセットが逆向いてたとか。知らない曲をいきなりやるとか、変なのをみましたよ。
平野:ホントにミュージシャンの夢ですね。
高橋:ミュージシャン仲間にも訊いてみたんですが、みんな、みてるみたいですよ。細野さんですらみるって言ってましたから。
平野:一度みてみたいなぁ。
高橋:いやいや、それほど面白いものではないです。素っ裸で人前に出るようなもんですよ(笑)。
※1 盟友、坂本龍一さんの愛称。広く知れわたっているが、これは坂本さんが東京藝術大学の大学院生だと知った高橋幸宏さんが名付けたとされている
※2 細野晴臣さん。日本語ロックの草分け的バンド、 はっぴいえんど、キャラメル・ママ(ティン・パン・アレー)のメンバー。その後、YMOを結成
※3 フランスの音楽家、俳優。インディーズレーベル「サラヴァ」の主宰者。84年の日本映画「四月の魚」では、主題歌を高橋さんと共作している
※4 高橋さんがYMOの前にドラマーとして参加していたバンド。75年には、ロキシーミュージックのオープニング・アクトをつとめイギリスツアーを成功させている
※5 音楽プロデューサー、作曲家。1960年代にフォークグループでデビューし、70年代はサディスティック・ミカ・バンドを結成。80年代は映画音楽、90年代からスーパー歌舞伎の音楽も手がけた。2009年没
※6 ユニット“M”の名義で知られる英国のアーティストで、世界的なディスコ・ヒット となったテクノ・ポップ曲「ポップ・ミューヂック」で知られる
※7 アメリカのシンガー・ソング・ライター、音楽プロデューサー。ザ・バンドやホール&オーツ、日本では高野寛のプロデュースを行なっている
※8 2002年に結成された、高橋幸宏さん、細野晴臣さんによる、エレクトロニカ・ユニット
※9 カッコいいについて書かれた、平野啓一郎さんの新刊。講談社現代新書より2019年7月に発刊されロングセラーに
たかはし・ゆきひろ 音楽家 1972年、加藤和彦率いる”Sadistic Mika Band”に参加。 1978年、細野晴臣、坂本龍一とともに”Yellow Magic Orchestra”(Y.M.O.)を結成。 1978年のファースト・アルバム『Saravah!』以来、2013年の『LIFE ANEW』まで通算23枚 のオリジナル・アルバムを発表。ソロ活動と併行して、鈴木慶一(ムーンライダーズ)との”THE BEATNIKS”、細野晴臣との”SKETCH SHOW”、原田知世や高野寛、高田漣等との”pupa”、James Iha(The Smashing Pumpkins)や高桑圭(Curly Giraffe)等との”In Phase”、小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井と結成した”METAFIVE”など様々なバンドで活動。 www.room66plus.com
ひらの・けいいちろう 小説家 1975年、愛知県生まれ。北九州市育ち。京都大学法学部卒業。大学在学中の1999年、雑誌「新潮」に投稿した『日蝕』により芥川賞を受賞。 著書に、小説『葬送』『壊滅』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『透明な迷宮』『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞)『ある男』(読売文学賞)など、エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方〜変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』などがある。新作小説『本心』は、2019年9月より北海道新聞・東京新聞・中日新聞・西日本新聞にて連載中。 https://k-hirano.com