作家・平野啓一郎氏が〝20世紀後半を支配した価値〟と喝破した、「カッコいい」という概念。21世紀の各界で活躍する異才たちにとって、その言葉はいかなる意味を持ち、また変わりつつあるのだろうか? 本連載を通して研究を進めたいと思う。記念すべき第1回目は、今や日本の映画界を文字通り牽引する存在へと成長した俳優・井浦新さんにインタビュー。最新作『朝が来る』にまつわる秘話から、縄文人のカッコよさ、そしてコロナ禍における価値観の変化まで率直に語っていただいた。

写真=熊澤 透 ヘアメイク=山口朋子(HITOME) 文=山下英介

河瀨直美監督との日々

──最新作『朝が来る』、まるでドキュメンタリー映画のような生々しさに圧倒されました。作品のホームページに掲載されている井浦さんのコメントを拝見したところ、「河瀨監督の現場は、どう芝居をするかではなく、どう〝生きるか〟が求められます」とありましたが、これってどういう意味なのでしょうか?

井浦:河瀨監督が求めているのは「この作品の中で、あなたはどう生きているんですか?」ということです。どう考え、どう思って、どんなことを感じながら生きてきて、これから何を見すえているのか。〝お芝居〟という概念は監督の中にはないんです。

──それはカメラが回っていないときも?

井浦:河瀨組として動いている間は、僕は井浦新でありながら、役名の清和(きよかず)として生きることを求められていました。そう生きていないと、監督と話す言葉も見つからないし、河瀨組の現場には立っていられないんです。

 そしてありがたいことに、河瀨組では役の人生を実際に経験する、「役積み」の時間をいただけます。清和は、妻の佐都子(演:永作博美)と恋人時代にどんなデートをしたのか? そして何を食べたのか? そういった画面には映らない彼らの思い出も、実際に経験してくるんです。たとえば清和は建築家でカメラや美術に興味があるから、宇都宮で餃子を食べた後に、自然が豊かで古い建築物がある栃木県の行道山に行って古いお堂を勉強がてら見ているだろう、とか。監督と永作さんと3人で本当に行ってきました。

──だからなのか、ひとつひとつのディテールに役の人生が宿っていますよね。

井浦:河瀨組ではスタンバイしてヨーイドンじゃなくて、現場についたときからすでに撮影は始まっているんです。セリフはもちろんありますが、僕たちもすでに役を積んでいって背景ができあがっているから、「こないだあれ食べたのはさ……」なんて感じに、日常のたわいもない会話が自然に生まれ、そこからなにかが起きてくる。それを監督がズバッと編集していくんです。生活しているところを、いつの間に切り取られている。だから半分はドキュメンタリーですね。

──芝居ではなく、本当に10年20年と積み重ねた夫婦になっているわけですね。

井浦:それくらい求めてもらえて、役に没頭させてもらえるのは、本当にありがたいですね。贅沢の極みです。河瀨組ではスタッフと俳優との会話は禁止なんです。「あなたたちはこの世界にいないんだから」ということで。初めてちゃんと声を聞けたのは、打ち上げのときですから(笑)。

 ただ今回は、河瀨監督の作品としては珍しく都会を舞台にした映画だったことが、僕にとっては少しきつかったです。撮影が終わって家に帰り、自分の日常で深呼吸できてしまうと、そこで一度振り出しに戻ってしまいますから……。息もできないほどに自分を追い込んで、現場で解放する。そんな作品づくりが僕も好きなんですよね。

──今年だけでもすでに映画2本、ドラマ2本に出演されています。気持ちを切り替えていくのも大変ですね。

井浦:それはきっと育てていただいた環境が大きいと思います。最初にこの世界に引っ張ってくださった是枝裕和監督からの教えが、いまだに僕の礎になっています。若かりし僕が「芝居なんてできません」と反発したときに、是枝監督は「芝居なんかしなくていいですよ。この世界の中で感じたこと、思ったことを言葉にしてくれるだけでいい。なんなら言葉にしなくてもいい。ただ呼吸してくれれば」と言ってくれたんです。そんな風に監督に求められるのが嬉しくて、映画づくりや芝居が楽しくなっていきました。

 僕は言ってみれば現場で学んできた俳優なので、ある意味表現の〝軸〟も〝自分らしさ〟も持っていなかったんです。それならば、演じるときに何にでもなれるくらいの存在になっていればいいな、という発想になっていきました。

 僕が演じてきた役は、ひとりとして同じ人間はいません。だからイメージを張り巡らせて、その役がどう生きてきたのか?と考えることは楽しくもあるし、俳優としての責任でもある。初日にどんな心でその役を生きるのか?という試みを繰り返しています。

縄文人の「カッコよさ」

──かつてはミステリアスな人物を演じることの多かった井浦さんですが、最近は人間の弱さを湛えた等身大の役が増えていますよね。そして、そんな役を演じるときの井浦さんの後ろ姿には、大人の男の「カッコよさ」を感じます。
 今回井浦さんに伺いたかったのは、まさにその「カッコよさ」とは何なのか?ということなんです。

井浦:カッコいい人、たくさんいますよね。共通しているのは、どんなリスクを背負っても自分の足で自分の道を歩いている人ですね。容姿や年齢、職業は全く関係ありません。長年土をいじりつづけている農家の方や、毎日満員電車に揺られながら会社に通って家族を養う会社員の方々。でも生きることってそんなに簡単じゃないから、失敗してもがいて、苦悩しながらもそれでも前に進もうとして……そういう生き方も素敵だな、と思います。

 僕は人物のポートレートを見ていても、眉間に刻まれた深いシワや、顔や身体のキズ、薄くなった毛といった人間らしいところに惹かれてしまうのですが、それってその人の魂や人生が滲んでいるからなんです。

 自分の「生」に責任を持って腹をくくっている人は、それがたとえ無様な姿だったとしても、カッコいいんじゃないですか?

──世界を旅するドキュメンタリーや「日本美術応援団」など、人々と触れ合うお仕事が多い、井浦さんならではの答えですね。

井浦:人々の日常や生活の中にポンと放り込まれる仕事も多いですし、僕自身プライベートで旅するときは、たまたま出会った人と一緒に過ごした方が、特別な時間をつくれたりしますね。

──「縄文」を趣味にされているというのも意外ですよね?

井浦:意外ですか? 僕の中では一番歴が長いんですが。

──子供の頃からの趣味ということですが、その魅力はなんですか?

井浦:縄文土器の造形のカッコよさもありますが、縄文人の精神性にも学ぶべきところがあるんです。

──精神性、ですか?

井浦:縄文人の遺跡や出土品を見ていると、いろいろなことがわかってきます。たとえば老人のものと思われる人骨に、かなり以前に骨折した跡が残っていた。普通定住しない狩猟民族であれば、足手まといになる大怪我をした老人は切り捨てていくのが普通のことです。しかし縄文人たちは老人を大事にして、骨折していたとしても、一緒に狩猟と採取の旅を続けていくんです。なぜなら縄文人にとって老人とは知恵の塊であり、敬うのが当たり前だから。そんな精神性が普通だったら、隣人や周囲と間に争いは生まれませんよね?

 そんな風に、縄文人の人との関わり方って、すごく優しいんです。争わず、奪い合わない。それが大規模な集落をつくり定住して耕作をする弥生文化になると、領地という概念が生まれ、争いが起きてくるのですが。

 これをそのまま現代に置き換えられるわけではありませんし、縄文ライフに戻ろうというつもりもありませんが、現代にあっても、その精神性のいいところは活かせるような気がします。

 コロナ禍で苦しむ隣人や、肌の色で差別される人、紛争地の子供たち……。地球にいるひとりの人間として、僕たちひとりひとりが誰かに対して優しくなれれば、世の中は変わると思うんです。

コロナの時代の価値観

──確かに。このコロナ禍で、今まで僕たちが享受してきた物質文明や、それを中心とした「カッコよさ」の概念も大きく変わりつつあるような気がします。

井浦:いやあ、絶対変わった方がいいですよね。〝あの時〟行動が制限されていた僕たちは、深く考えないといけない時期だったじゃないですか。これからは、その後の新しい第一歩を踏み出すために、〝あの時〟何をしていたのかが問われることになると思います。

──井浦さんが呼びかけ人を務めている「#SaveTheCinema(セーブザシネマ)」をはじめ、存続の危機にあるミニシアターをサポートする動きが盛んです。ミニシアターを支援するためのクラウドファウンディング「ミニシアター・エイド基金」には、なんと3億円を超えるサポートが集まったと聞きます。僕たち日本人の間にも、そんな風に分かち合いの精神が育っていることに勇気づけられました。

井浦:日本のミニシアターってほとんどが個人経営で、お金に余裕があるわけじゃない。オーナーはただただ映画が好きで、自分の生まれ育った土地に映画文化を根付かせようという方ばかりなんです。

 ただでさえ借金をしながら経営しているミニシアターが休館を強いられたら、数ヶ月後、映画文化はどうなっていくんだろう?とぞっとしました。指をくわえて見ていて、あとから大変だったな、なんて自分は絶対に言えません。

 だから、まずはSNSをうまく使って彼らの声を拡散し、緊急事態宣言が間近に迫った頃には、様々な映画人が発起人になって署名を集め、行政に支援を要請する取り組み「#SaveTheCinema」に参加しました。

 ほかにも深田晃司監督や濱口竜介監督が「ミニシアター・エイド基金」を立ち上げたり、ミニシアター側もオリジナルのTシャツをつくったりと、様々な動きが同時に発生して、そのどれもが大きな成果を挙げたとき、本当に感動しました。映画を必要として、信じてくださる人たちがこんなにいるんだって。

 それでも今回のコロナ禍は相当長引くことを考えると、僕らの手には余るんです。そんな中で、この活動に俳優の姿があまり見えないことに気づきました。今までの日本では、俳優が表立って意見の声を挙げたり、支えたりということが自分を含めて習慣化していなかったんです。

 様々なリスクを考えて俳優は静かにしていたほうがお利口さんだ、という意見も確かにあったのですが、僕はこのコロナ禍でお利口さんになっているだけじゃ、この先大変になっていくだけだ、と思ったんです。

 そこで、以前から僕と同じ意思表示をしていた斎藤工さんと渡辺真起子さんに電話したところ、すぐに賛同してもらいました。そして「ミニシアターエイド」の意思を引き継ぎながら、俳優たちが個人の意思で映画館や映画業界に寄り添っていくプラットホーム「#minitheaterpark(ミニシアターパーク)」をつくったんです。

──コロナ禍で世の中の価値観が大きく揺らいでいる中、井浦さんの一連の活動に勇気付けられた人々は多かったように思います。

井浦:言わないのが賢いのか。言うのが賢いのか。それとも思っていても言わないで、別の形で伝えるのが賢いのか。いろんなやり方はあると思いますが、コロナ以降はそんなまどろっこしい考え方をしていたら逆に仕事ができなくなるし、やりたいことはもちろん、やりたくないことすらもできない時代になります。だからもっとシンプルに、いけないことはいけない、と言える世の中になったほうがいいと思います。

 今まで僕たちは、あまりにも世の中を複雑にしていました。戦後から現在まで、止まらない特急に乗っていたのかもしれません。寝ずに血を流しながら頑張るのはカッコよかったかもしれないけれど、それで傷ついたらなにも生まれない。そう、僕たちはみんなある意味では〝感染〟したんだと思います。だったら新しく生まれ変わらなくちゃ甲斐がないじゃないですか。

 だから僕は、つぶし合ったり貶し合ったりするんじゃなくて、認め合い許し合える社会がいい。そして職業に関係なく、社会の一員として同じように発言できる個人や企業がいい。

 そんな本当の豊かさを、そろそろ僕は求めたいな、と思いました。

PROFILE
いうら・あらた(俳優) 

1974年生まれ。1999年公開の映画『ワンダフルライフ』(是枝裕和監督)を皮切りに、インディペンデントからメジャー大作に至るまでジャンルを問わず良質な作品に出演する、日本では数少ないスタンスの俳優だ。日本の伝統文化への深い造詣を生かした活動に加え、ファッションブランド「ELNEST CREATIVE ACTIVITY」のディレクション、俳優によるミニシアター保護のプラットホーム「#minitheaterpark(ミニシアターパーク)」の発起人など、従来の枠にとらわれない表現を続けている。

 

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