「カッコいい」の反対は「卑怯」

10〜15年前に買ったという、〝ブルックス ブラザーズ〟のコードバン製ウイングチップシューズは、〝オールデン〟製。シューアイレット(靴紐を通す穴)がクラシカルなハトメ仕様になっている点が気に入っていると、マニアならではの見どころを教えてくれた

──でも最近は、新谷さんご本人と文春ブランドが大きくなりすぎて、そうも言っていられない状況にあるのでは?

新谷:僭越ではありますが、確かに世の中における文春という存在が、いまだかつてないほど大きくなってしまった。昔から報道の世界においては、NHKを頂点とする純然たるヒエラルキーが存在して、週刊誌はおこぼれちょうだいメディアだったわけです。それが最近では、文春が書いたことをNHKが追いかけ、「文春によれば云々」と報じる。負わされているものが重くて、「たかが週刊誌」で済まされなくなっていることは痛感しますね。

──脅しや誘惑も多いでしょうし、すごいプレッシャーだと思いますが。

新谷:昔は編集長になったらやりたい放題できるかな、なんて想像していたのですが、『週刊文春』の編集長を託された瞬間に私が感じたのはむしろ逆で、「なんて重たいものを背負わされちゃったんだろう」という思いでした。会社にとって本当に大切なものをお預かりしたという感覚です。そこから今にいたるまで私がやり続けていることは、『週刊文春』の看板をひたすら磨きあげること。それは具体的にいうと、走りながらアクセルとブレーキを瞬時に踏み分けることなんです。そしてあらゆる判断の根拠になるのは、それが『週刊文春』のブランドを磨くのか、傷つけるのか、ということだけです。

 たとえば首相官邸の親しい人から「この記事止めてくれないか」と頼まれたときに、目先の人間関係だけを考えたら止める判断もあるかもしれないけれど、文春ブランドを考えたら、官邸の圧力で筆を折ったということは取り返しのつかないダメージで、読者からの信頼を損なってしまう。ならば絶対に突っぱねるわけですよ。私はそれを背負って生きています。

──新谷さんはご自身はそんな生き方を徹底できても、大きな組織になるとそううまくいかない部分もあると思いますが。

新谷:私は編集部員を信じていますし、〝親しき仲にもスキャンダル〟の考え方は組織の隅々まで浸透していますが、リスクとしてはありますよね。でもそこで大切なのは、隠さないこと。不祥事が明らかになったときにそれを隠蔽するんじゃなくて、必要とあらば世の中に対して公表することだと思うんですよ。今年東京高検検事長の賭け麻雀をスクープしましたけれど、一緒にやっていた朝日や産経の対応は、私からすると報道機関としてちょっと違うなと。もしうちで同じことが起きたら、そこにいた記者にトップ記事で懺悔手記を書かせますよ。自分にも当てはまることですが、危機管理の三原則は逃げない、隠さない、嘘をつかない、ですから。

──どんどん顔が知られていくことに対する怖さはありますか?

新谷:脅迫状を送られたり尾行されたりもありますが、心配ばかりしていても仕方ない。こういう仕事をしているので、自分だけ畳の上で死のうとか思っていたら申し訳ないなって気持ちもあるんです。だから何があっても覚悟の上です。 

――肝の座り方が全く違いますね!

新谷 :「カッコいい」の反対って「卑怯」だと思うんです。私は卑怯者が嫌いだし、卑怯だなって思われる生き方は絶対にしたくない。相手によって態度や言ってることを変えたり、権力者に媚を売って飲みに行ったり。

──今年スクープした箕輪厚介さんのことですか?

新谷:彼はそこがカッコ悪いと思いましたね。やっぱり強いものになびいたり、長いものに巻かれたりが嫌いなんですよ。自分がこうだと思ったら、相手が強くても一歩も引いちゃだめ。たとえボロボロにされても、歯を食いしばって譲らないことが次につながる。自分は会社に入ってからそういう生き方をしてきて、その分上から潰されそうになることも何度かありましたが、なんとか立ち直ってきましたから。

 

スクープこそ、『週刊文春』のブランド力

新谷:スクープで勝負するという私たちの姿勢は、ブレるどころか最近さらに強化されています。そして情報は、リスクを取って戦う組織に集まってくる。

 最近スクープした河井克行氏の選挙違反事件に関しても、文春にリークが寄せられたのですが、その一行目に「警察だと途中で握りつぶされるかもしれないと思って文春に送ります」と書いてあったんです。それは本当に嬉しいことで、そこまで信頼してくれるのならば、絶対に応えなくちゃダメだと思いました。あの問題の端緒は、ウグイス嬢に上限の倍額の報酬を払ったということでした。そこで私たちは、12人の記者を広島に投入して、朝8時から12人のウグイス嬢に同時に直撃させたんです。なぜ全員同時かというと、絶対に口裏合わせされないように。警察の捜査と同じ手法です。

 手間暇も経費もかかりましたし、単純な収支からみれば赤字かもしれない。でもそのスクープによって東京地検特捜部が動き、新聞やテレビを通じて『週刊文春』が報じたということが世の中に伝わる。「文春ってすげえ雑誌だな」って。これって今の言葉で言えばブランディングですよね。それによってさらなる情報提供を呼び込んでいくという循環ができてくるわけですから、スクープこそが私たちにとっての軸なんです。

──なるほど、ブランディングですか! 確かに、閉塞した社会に風穴を開け続ける『週刊文春』は、今や「カッコいい」存在として世の中に認知されているような気がします。しかも誌面では強烈なスクープを連発しているのに、表紙には1本も煽り文句が載っていない。これもブランディングのひとつですか?

新谷:これは文春プライドでもあるんです。この看板を信じてください、絶対に損はさせませんよって。和田 誠さんのイラストに文春のロゴが入ったこの表紙はひとつの作品でもあり、これを汚すようなことはしたくありませんし。

 今後あらゆるメディアにとって、収益源がデジタルにシフトしていくのは宿命かもしれませんが、プロダクトとしての『週刊文春』はひとつの象徴としてこれからも大事にしたいと思っています。これを持っていることがカッコよくて、社会に対してきちんとした意識を持った人だな、と思ってもらえるような。紙の雑誌はおそらく、そんなブランディングメディアのようなものになっていくのでしょうね。

──最後にひとつお願いがあります。『週刊文春』を除くほとんどのメディアは、このコロナ禍において非常に苦しんでいる状況です。これからのメディアは何を目指すべきか、ヒントをいただけないでしょうか?

新谷:これはメディアやファッション業界だけではなく、あらゆる企業や組織に通じるものだと思いますが、自分たちの核心的な強みとは何か?を問いかけ続けることです。ビジネス的に言えば、コア・コンピタンスですよ。『週刊文春』でいえば、ここでしか読めないインパクトのあるスクープ。〝ブルックス ブラザーズ〟なら、ここでしかつくれないポロカラーのシャツ。そういった自分たちにとって本当に価値を生み出してくれるもの、簡単には真似できないものを見誤らないようにしないと、軸がブレてしまう。本物と偽物が渾然一体となったサバイバルの時代は、真の価値を持つ存在しか生き残れません。

 大昔、地球に巨大隕石が落ちてきたような強烈な環境の変化が、現代はインターネットの登場と、さらにはコロナ禍によってもたらされています。この状況にいかに適応しながら、自らの価値を見定め、磨き上げていくのか? そしてわれわれでいえば、いかにそれをマネタイズする形で読者に届けていくのか? そういうことだと思いますね。


 

 ファッションにおいても、仕事においても、そして生き方においても、決してブレることのない信念を貫き通す新谷さん。世間を賑わせるスクープや思い切った決断は、そんな風にしてつくりあげた「軸」の賜物であり、彼の生き方とは、揺るぎないその軸にロープを巻きつけて、日夜バンジージャンプをしているようなものかもしれない。願わくば、この人がつくったファッション雑誌を読んでみたい! そう思うのは筆者だけではないはずだ。

 

 

PROFILE
しんたに・まなぶ(編集者)

1964年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科を経て、1989年に株式会社文藝春秋に入社。『スポーツ・グラフィック・ナンバー』『マルコ・ポーロ』編集部、『週刊文春』記者・デスク、『文藝春秋』編集部などを経て、2012年に『週刊文春』の編集長に就任。圧倒的なスクープ力で、同誌を日本を動かすメディアへと成長させた。2020年より週刊文春編集局、ナンバー編集局担当の執行役員に就任。著書に『「週刊文春」編集長の仕事術』(ダイヤモンド社)がある。