そんなクチネリは、自身を「保護者、管理人、番人」と位置付けている。人間と会社の所属する世界との関係を守り、管理し、育むことこそ経営者の仕事という自覚があるのだ。
「保護者」が守る第一のものが、「人間の尊厳」である。人間の尊厳を第一に掲げ、人間の手仕事の価値を磨き、自然環境に投資することによって手仕事の価値をさらに高め、働くすべての人を幸福にするという好循環を生んでいる。与えれば与えるほど大きな利益を生むというクチネリの経営は、広く海外からも注目され、大十字騎士勲章を受勲するほか、数々の賞を受賞している。
ラグジュアリーとは、正しき資本主義から生まれる
こういう経営姿勢を知ると、ブルネロ・クチネリの服がなぜあれほど心を揺さぶるのかも納得できる。倫理的にも経済的にも尊厳を大切にされた職人が責任感をもち、彼らの創造性が自由に誇らしく発揮されているからなのだ。30時間以上もかけて手作業で仕上げられたオペラニットの存在感は、服の機能とか価格といった現実的な問題をまったく無意味にしてしまう。別格のアートのような迫力を湛えるニットに、かくも精緻な手仕事をやってのける人間のすばらしさを重ね見て、畏怖の念さえ起きてくることがある。
ここ30年くらいの間に資本主義が暴走し、異様なまでの富の集中と格差問題が生まれ、環境問題が切迫した。こうした問題の元凶が、資本主義そのものにあるかのように批判されている。
だが、クチネリは資本主義を信じている。資本主義を正しく使うことで、働く人々を幸せにし、次の世代へ良い世界を引き渡していけると信じている。資本主義は、たとえていえば車のような道具であり、乗る人間が間違った乗り方をすれば事故も起きるが、知恵を絞って正しく乗りこなせば、人間を幸せにできるはず、と。
人を幸福にするための、資本主義の正しい使い方。その使い方を知るための基本的な心構えがちりばめられたこの本は、未来への希望の書でもある。
全体を通して教えにあふれているのに教条主義的なところが全くなく、読みながら心が洗われ、癒されていく。すべてのもの、あらゆる現象は何らかの形でつながっており、だからこそ自分から働きかける行為や投げかける感情が、何倍にも大きくなって自らに還ってくる。そんな気づきへも促してくれる。
個人的にもっとも衝撃と共感を覚えたのは、クチネリが引用するマルクス・アウレリウスのことば、「人生は三幕あれば十分である」。クチネリはその言葉からこのように考えるのだ。「自分に与えられた時間も、自分の行いも、自分だけの所有物ではない」。たしかに、そのような視点をもてば、自然に反する欲とも無縁でいられ、日々の仕事に謙虚に向き合えるし、退場の時も心穏やかでいられるだろう。心安らかな悟りの感覚を伴う読後感を与えてくれるという意味で、本書はビジネス書であるとともに、宗教書のようでもある。
人文学としてのビジネス書という新しいジャンルの誕生である。