文=中野香織
日本を代表する論客による初の著書
ユナイテッドアローズの上級顧問クリエイティブ・ディレクション担当栗野宏文さんによる初の著書である。初の著書ということが意外に思えた。これまで多くの雑誌で栗野さんのモード論を読んで時代を見る目を鍛えていただいたし、もう20年近くも前になるが、対談や鼎談を通して栗野さんの鋭い言葉やクールで優しい感性に触発されてきた。遅すぎたくらいの「初の著書」は、それゆえいっそう、モードや世界を見る栗野さんらしい視線が凝縮された、栗野ワールド集大成のような一冊になっている。
第1章は、社会潮流を読んで服をディレクションする、という仕事を続けてきた人ならではの、手の内明かしや、具体的な情報収集の方法、マーケティング観。社会学的エッセイとしても刺激的で、ファッションと社会の不可分な関係が、実例を通して理解できる。
第2章は、ユナイテッドアローズの仕事について。ファッションビジネス論、ブランド論としてもインスピレーションに満ちている。ファッションを通して時代の気分を伝え、顧客に自己肯定感を与え続けてきた「洋服屋」の矜持が示される。
第3章は、パーソナルなおしゃれについての栗野さんの主観や提言。似合うものを見つけるプロセスを自己発見の旅ととらえるファッション指南書としても読める。
第4章は、日本と世界のファッションの歴史。
第5章は、現在、そして未来へ向けて、
優しくも鋭い、栗野さんの眼差し
このように、ファッションをめぐる多様なテーマを全方位から柔軟に語り尽くしながら、どのカテゴリーにも収まろうとはせず、白黒つける議論を避けながらも全体を包括的に優しくとらえようとするこの本は、著者のこれまでの一貫した仕事への姿勢を彷彿とさせる。というか、栗野さんの存在そのもののような本である。
信念をもって仕事で成果を収めた人の言葉が、ジャンルを超えて多くの人に響くという点では、本書も例外ではない。ファッションや「おしゃれ」に日頃あまり関心がないという人にも、たとえば次のような言葉には、覚醒を促されるのではないか。
「おしゃれに興味を持つということは、自分ときちんと向き合うということ、自分を見つめるということです。それができる人は、他人に対しても同じようにきちんと向き合えるでしょう。逆に格好やルックスだけきれいにしていても、自分と向き合えていなければ、人との接し方、人に対しての自分の出し方、あるいは人が表現しているものの受け止め方も浅くなってしまいます。ですから、おしゃれとは生き方の問題であり、その本質は結局、自分が自分らしくいるかどうかだと思うのです」
世界から見た日本のファッションの特徴の指摘に関しても、膝を打つような指摘ばかりである。とりわけ、日本のファッションにはセダクション=性的誘惑性がないという視点の鋭さときたら。そうそう、日本のモードは「モテ服」としては機能しにくいのだ。しかし、セダクションがないからこそ日本のモードは西洋的価値基準から逸脱でき、創造性そのもので勝負できる、と著者はその特徴をおおいに評価する。かつての着物にはセダクションがあったのに洋服になるとなくなった、という指摘も面白い。西洋のようなラグジュアリービジネスがなぜ日本で発展しないのかという問題に対する考察も示唆に富み、今後、何を大切にし、どのような方向で企業活動を行っていけば幸福な価値を提供できるのかという方向も示される。
ほかにも名言を紹介していくときりがないのだが、日本と世界のファッション界で、エッジの効いた頼もしいリーダーシップを発揮し続ける著者の成功(という言葉は本人は好まないとは思うが)の秘訣は、おそらくこの一文のなかにあるのではないかと思われた。
「どんなにスケールの大きなビジネスでも、一番大事なことは、そこにエモーションがあるかどうか。ブランドとはエモーションの塊である。」
栗野宏文というブランドもまた、SNSなどまったくやらずクールそのものに振る舞っているけれど、エモーションの塊を熱く燃やし続けている。LVMHプライズの審査員やベルギー王立アントワープ・アカデミーのファッション学部の卒業審査員まで務める人が、「マインドとしては販売員」と言い切り、社会的に低く見られがちだった販売員と同列に自分を置くことで彼らの地位向上の後押しをする。ファッション愛の塊だからこその離れ業、ああ、これが栗野流「おしゃれ」ということなのだと教えられる。