日本の伝統芸能で、今も多くの人から愛される歌舞伎。知っている人はもちろん、今からでも楽しめる歌舞伎の魅力を、歌舞伎研究で知られる早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長の児玉竜一さんに指南していただく連載が始まります。第1回は、大河ドラマや『半沢直樹』の活躍でも知られる市川猿之助。ワンピース歌舞伎など、歌舞伎界のイノベーター的存在である彼の凄さとは? 彼の現在を形作るその系譜とは? 市川猿之助のファミリーヒストリーを紹介します。

文=新田由紀子 撮影=市来朋久

提供=アフロ

5月の明治座は「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」

明治座創業百五十周年記念「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」
公演期間:2023年5月3日(水・祝)初日~28日(日)千穐楽 ©松竹 ※代役で公演中

 洒脱な太鼓持ちが忽然と姿を消したかと思うと傾城になって現れ、さらにはおどろおどろしい土蜘蛛の精に……。創業150周年を迎える東京・日本橋浜町の明治座で行われている記念公演は、当代・四代目猿之助の宙乗りや六役の早替りなど、まさに独壇場だった。中村隼人、甥の市川團子ら若手を従えながらも、一人の役者が劇場中の空気すべてを支配するカタルシスに酔わされる。

 そんな四代目の芝居の上手さは子役時代からだった。児玉さんは、1984年(昭和59年)、舞台『牡丹景清』に驚かされたという。

「こりゃあ、大変な子だと思いましたね。異常な達者さで、父親の四代目段四郎や他の役者たちを食いまくっている。同じ年の『菊宴月白浪』は、死んだ母親が子どもに乗り移って夫にしゃべるという役。たった9歳の子にやらせるかっていう芝居なのに、本当に子どもに中年の女が乗り移ったように見えたんですよ」

 世間を驚かせてきたのは当代だけではない。そして、常にイノベーターとして走り続けてきた「市川猿之助」という役者四代の系譜は、明治維新以降の日本を映し出している。

早稲田大学文学部教授、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長 児玉竜一氏