子供は7歳と5歳。赤峰さんとは家族ぐるみのつきあいで、子供に対してもフランクだけれど、厳しくすべきときは厳しいことを言ってくれる。信頼関係があるからこそできることだと思っている。子供には筋の通った生き方をしてほしい。数字にとらわれるのではなく、質のいいもの、悪いものを見極められる目をもってほしい。

 高橋さんはジュエリーの仕事をしている。「赤峰マインド」は仕事の接客にも生きている。押し売りはしない。心から良いと思うものをお勧めする。お客様にとって不要と思えば、率直にそのように伝える。ダメなものはダメときちんと伝えることで、信頼関係が生まれるということは、赤峰さんから学んだ。

高橋さんは、赤峰さんの魅力として視線を挙げた。「赤峰さんは、まっすぐに見抜く。計算するような視線ではなく、そらすことなく、まっすぐ見る。深く見ようという意識がある」。そのように語る高橋さんも、まっすぐなまなざしを向ける強い目力の持ち主である。

 「めだか荘」では、服の勉強というよりも、生き方の勉強をしている。

 

赤峰幸生さん(77):生き方とファッションの「楷書」を伝えたい

 このように若い人から人気がある理由をどのように考えていらっしゃいますか? という不躾な質問に対し、赤峰さん本人は3つの理由を挙げてくれた。

 まず、生き方がローテクであること。今の20代は、生まれたときからハイテクに囲まれている。だから自分のローテクなあり方が新鮮に映るのではないか。

その佇まいは、あたかも昭和の文人を彷彿させる。実は赤峰さんは、20世紀を代表する評論家であり社会学者・清水幾太郎の甥。その哲学は〝ファッション〟の領域には収まらない

 2つ目として、「叱られたい」願望。現代では親が子供を厳しくしつけることが少なくなっている。あまり親から叱られてこなかった子は、社会に出たときに自分の振る舞いに自信がもてない。知っておくべきこと、やってはいけないことをきっちりと教えてくれる存在がほしいのではないか。

 3つ目として、「じいさん」としての立ち位置。核家族で育った若者には、父親ではなく「じいさん」なら話せるということがたくさんあるのではないか。

袖口が擦り切れたシャツも、色褪せた革靴も、自身の顔の一部と捉え決して取り繕わず、その風合いをあるがままに楽しむ赤峰さん。「新しいもの」こそ善と説くファッション業界人との大きな違いは、ここにある

 謙遜しながらも客観的な分析をしてくださった赤峰さんの言葉には、確かにその通りと納得する。

 しかし、世の中には「キャリアのある、叱ってくれるローテクなじいさん」は大勢いるのだ。同じ77歳でも、こうして20代30代から慕われ、弟子志願者がひきもきらない77歳と、若者から疎まれ避けられてしまう77歳がいるのはどういうことだろう。

 77歳の赤峰幸生さんが20代のスタイルアイコンとなりえているばかりか、生き方そのものの師匠として慕われている一風変わった現象の理由は何なのか。

 赤峰現象の理由を挙げながら、彼らの師弟関係は現代日本社会のどのような側面を映し出すのか、日本社会にいかなるインパクトをもたらしうるのか、その意味と展望を、時代背景を考慮に入れつつ、後編でじっくり考えてみたい。

おしゃれの先生は77歳(後編)