服飾史家中野香織が、〝赤峰幸生現象〟を解説する。

文=中野香織

おしゃれの先生は77歳(前編)

1944年東京都生まれ。1960年代から様々なメンズブランドの企画を手がけ、1990年に自身の会社「インコントロ」を設立。現在はオーダースーツのブランド〝アカミネロイヤルライン〟を運営するほか、様々なアパレル企業のコンサルティングを手がけている。通称「マエストロ赤峰」。撮影はすべて山下英介

Z世代はなぜ赤峰幸生に憧れるのか?

 前編では、〝赤峰現象〟を紹介した。

 77歳の「ローテクで叱ってくれるじいさん」こと赤峰幸生さんが20代30代のスタイルアイコンとなりえているばかりか、生き方そのものの師匠として慕われている一風変わった現象である。

 弟子たちは、スーツスタイルを入り口に、「めだか荘」で師と時間をともにするなかで日本の衣食住の基本を学んでいる。この師弟関係が、一見、時代と逆行しているように見えて興味をひかれたので、お弟子さんのなかの3人に、何を思い、どのように学んでいるのかという話を伺い、それぞれを紹介した。

「めだか荘」の二階には、赤峰氏が半生をかけて築き上げたワードローブとヴィンテージアイテム、そして自慢の生地の数々が収められている。来客たちはここで〝時代に流されない〟装いの極意を学ぶのだ

 彼らの話から、自分でも予想外だったのだが、私は現代日本社会のいくつかの問題に思いが及んだ。さらに、これからの日本社会をどのように築いていくべきなのか、個人に何ができるのか、その方向性について考えざるをえなくなった。

 後編では、〝赤峰現象〟が起きている理由を挙げながら、そのあたりのことをじっくりと整理し、書いてみようと思う。

 

薄っぺらい「コミュニケーション術」ではなく、本物の心の交流

 赤峰現象が起きている理由として、まずなによりも、時代錯誤的なほどの赤峰さんの開放性を挙げたい。

 個のプライバシーが尊重され、スマートな効率の良さがもてはやされる時代にあって、生活をともにしつつ全人格的に教えを伝えていくという徒弟制度のようなやり方は、時代に逆行しているうえ、効率的ではない。

 しかし、自分の経験からも実感するのだが、弟子というものは、師が語らない部分、師が無意識レベルでおこなっている立ち居振る舞いや言葉遣いから多くを学び取っていることに、ずっと後になってから気づくものである。「師」と「弟子」は、「親」「子」に置き換えてもいいし、「兄」「弟」に置き換えてもいい。誰かと生活時間をともにすることが人格に与える影響は計り知れない。効率の論理の圏外にある。

赤峰氏が集めた英国製ヴィンテージ生地の山を前に、「よい生地とはどんなものか?」を学ぶお弟子さんたち。華やかだが繊細ですぐにクリースが抜けてしまうような生地を選ぶか? 一見地味だがハリコシがあって、着るほどに風合いを増すような生地を選ぶか? 生地選びは、生き方の価値観を選ぶことだ

 だからこそ、家族でもない他人に自分を長時間、無防備に開放することには、勇気と覚悟がともなう。赤峰さんはそんな覚悟をもって他人を信頼し、弟子の個性をまるごと受け入れ、自分もありのままで接するのだから、本物の、心の通う交流がそこに成り立っているのではないか。