本物の「変化」はどのように生まれるのか
パンデミック後の新しい時代に向かい、日本は変わらなければいけない、変わろう、という叫びに似た声があちこちで上がっている。時代の変化に応じて変わることは不可欠だが、表層だけSDGs、うわべだけサステナブル&ダイバーシティ、というポーズをとっても全く何の意味もなさないだろう。日本社会の根本にあるもの、日々の生活の基盤になっているものをより深く見極めて、それをどのように新しい外の世界とつなげていくのか。そのチャレンジとアレンジにより、本物の新しい変化を作り上げることができるはずだ。
赤峰さんから、というよりもむしろ、赤峰さんとお弟子さんたちの関係から、そのような本物の変化を生むためのフレッシュなヒントを学び取ることができる。
日本に根ざすもの、自分自身のオリジンにあるものをより深く知ることを通して、見えるもの、気づくことにおのずと変化が訪れる。そこに時代に合ったアレンジをおそれずに加えていくことで、結果として、本物の変化を招き寄せることができるのだ。
赤峰さんもお弟子さんも、自分たちの関係がそれほどのインスピレーションを社会に与えることまでは、まだ無自覚であるだろう。それでよいのである。少なくともファッションの世界で起きるイノベーションは、一人またはごく少数の人間の、オリジンに根ざした大胆不敵な行動の連続を通して、「結果として」訪れるものだからである。
厳しいようであたたかい。巨匠なのに子供のよう。そう思わせた隙に相手を懐に入れ、変わらぬ本質を教えることで彼を新しく生まれ変わらせる。そんな赤峰さんに対し、イタリアのテーラー界の巨匠であるアントニオ・リベラーノ氏が、「アカミネ、脇差しを感じるぞ」と称えたという。無自覚なフリをしながら、赤峰さんはもしかしたら、日本社会を変えることまで想定して行動している21世紀のサムライなのかもしれない。