ここで重要なことは、弟子たちは、変わらない価値基準を学ぶことによって、自らは新しく変わり続けているということである。

 やはり前編に登場する森本彪雅さん(24)は、赤峰さんから「楷書」を学ぶ前と後での自己の変化を、このように表現する。

 「かつてはわかりやすいものが目に入りやすく、表面的なことだけで感動していた。今は違う。繊細なこと、小さなことが見えるようになった。ひるがえって、自分でも細部を気に掛けるようになった。繊細で一見わかりにくいものに感動できるようになった。気になったことは意識して深掘りし、疑問をもつようになった」。

半世紀以上にわたって服地を触り続けてきた男の手。その質感は無骨ながら温もりにあふれた、ヴィンテージ生地を彷彿させる

 変わらない本質を知ることによって柔軟に変化できること。新しく生まれ変われること。これが本物の学びの醍醐味である。

 

若者ってバカじゃない。敬意なきマーケティングは見透かされる

 3つ目の理由として、若い人に対する、赤峰さんの敬意を挙げたい。

 森本彪雅さん(24)は、師匠の魅力を次のように語る。

 「大人ぶらず、対等な目線で話す。好きなことは好き、嫌いなことは嫌いと素直に言うが、その理由もはっきりと示す。あいまいには流さない。77歳なのに、日本人としてどう生きるかを悩み続け、いまだに現状に満足していないところがある」。

右から森本彪雅(ひょうが)さん、赤峰さん、高橋義明さん、高原健太郎さん。彼らが考える赤峰さんの魅力は、前編をご覧あれ

 対等な目線で、ごまかしなく率直に話すことは、相手に対する敬意がないとできないことである。私たちがあいまいなスルーやごまかしに傷つくのは、そこに自分に対する敬意と関心の欠如を感じ取るからに他ならない。 

 若い人に対する敬意がたっぷりあるのは、赤峰さん自身が「これからも子供のままの気持ちでいたい。大人ぶることはしたくない」という心構えを持っていることと無関係ではないだろう。「子供」のみずみずしい感覚を保ちながら、全人格をかけて、若い人たちに生き方の「楷書」を伝えようとしている。感受性の豊かな次世代、次々世代が、そこに応えないわけがない。

 高原健太郎さんがこんなことを話していたのが印象に残っている。

 「若者ってバカじゃない。大人がこそこそしていることや、だまそうとしていることは、ぜんぶわかる。若者に受けそう、売れるだろうという狙いが透けて見えるECは、ぼくたちに通じないよ」。

2020年からスタートしたニューライン「アカミネ クラス スポーツ」のブルゾン。英国的概念によるスポーツウエアのブランドだ。ブルゾンやハンティングジャケットといったスポーティなアイテムながら、受注生産という形を取っている。昨年冬に東京・高円寺のヴィンテージショップ「アネモネ」で行われたオーダー会では、いかにもこの街らしい若者たちが、ひっきりなしに訪れていた。詳細は赤峰さんのインスタグラムをご参照あれ

 アパレル不況の一因も、若者への敬意の欠如にあるのではないか。「売れ筋」に乗っかろうとした「新しい」服を量産しても、彼らに見透かされ、そっぽを向かれるのは当然である。彼らは決して、ファッションに関心がなくなったわけではないのだ。「若い消費者にはこういうのが売れるだろう」となめてかかった敬意なきマーケティングにうんざりしているのである。若者のみならず、数字や記号でばっさりセグメント分けされた消費者に対しても敬意と関心の欠如があったのではないだろうか。

 自分たちに対し、オープンに敬意をもって接し、誠実に本質を伝えようとする大人に出会えたならば、彼らは謙虚に、貪欲に学ぼうとするし、きちんとした良い服を正しい知識と文脈のもとに身に着けたいと思っている。そんな思いに応えてきた大人は果たしてどれだけいただろう。