文=鈴木文彦 イラスト=ナガノチサト
ワインとフランス文学のスペシャリスト鈴木文彦氏が、私たちの〝今の気分〟にぴったりの1本を教えてくれる本連載。第5回目は、ちょっと人には聞きにくいボジョレー・ヌーヴォーの楽しみ方について伺った。
今回の質問者
「かつては100年に一度の出来、などという煽り文句を毎年聞いたような気がするボジョレー・ヌーヴォー。でも最近、あんまりそういう話を聞きません。むしろ、話題にするとシロウトっぽく見られるんじゃないか、と怖い気すらします。プロの皆さんはボジョレーとどう付き合っているのか、知りたいです」(30代女性・アパレル)
ボジョレー・ヌーヴォーって俗っぽいの?
そんなことありませんよ。話題にして盛り上がってください。でもヌーヴォーじゃないボジョレーワインにも注目していただきたいです。
そして、ご質問の前半部のキャッチコピーに関しては、日本のワイン市場が成熟したからではないかと筆者はおもいます。100年に一度、50年に一度、などという表現は、決して、ウソをいっているわけではないとはおもうのですが、結局、色々と端折りすぎで、抽象的になっていて、なにがどういいのかが、わかりにくい。日本のワイン市場は、もっと具体的な評価を求めるようになった。それで、こういう表現は徐々に目立たなくなっていったのではないかと考えます。
ただ、このキャッチコピーの功績は大きい、ともおもいます。1980年頃から2000年代初頭までにこういうキャッチコピーは見られたのですが、結果として、いま、日本でボジョレーといわれてワインの産地だとわからない人は、かなり少ないのではないでしょうか。シャンパン、といわれて特別なスパークリングワインを思い描くように、ボジョレーと聞けば、赤ワインを思い描きはしないでしょうか? それは、ボジョレー・ヌーヴォーと、ボジョレーのワイン生産者たちの大きな功績だとおもいます。
ボジョレー・ヌーヴォーの起源
そもそも、ボジョレーというワイン産地は、1930年代には、フランスでもあまり知られていなかったといいます。そこで、ボジョレーのワイン生産者たちは、もっとボジョレーを知ってもらおうと団結し、行動を開始するのですが、折悪しく、第二次世界大戦がはじまってしまいます。
ボジョレー認知拡大作戦が再開できたのは1960年代のこと。そして、1970年代になって、ようやく、ボジョレーはフランスでもワイン産地として広く知られるようになったといいます。このとき、ボジョレーの生産者団体がボジョレーの武器として使ったのが、ボジョレーで造られていた、新酒=ヌーヴォーでした。1970年代、パリでボジョレー・ヌーヴォー解禁パーティーを仕掛け、これが成功したのです。
このとき、ボジョレーの先頭に立ったジョルジュ・デュブッフという人物は、ボジョレーの帝王、と呼ばれ、いまも尊敬されています。2020年1月にこの世を去りましたが、ジョルジュ・デュブッフの名は、彼の創業したワイン会社の名前として残っています。
その後、ボジョレーは、ニューヨークでもボジョレー・ヌーヴォー解禁イベントを仕掛け、成功をおさめます。そして、これに反応したのが日本でした。
ボジョレー・ヌーヴォーと日本
1980年代、バブル景気の影響でワインを飲み始めた日本で、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁イベントが盛り上がります。なにせ、日本は、日付変更線に近い国。11月の第三木曜日が解禁日となるボジョレー・ヌーヴォーをいちはやく飲める国なのです。このブームは、バブル崩壊とともに、一度はその勢いが失速するのですが、1990年代後半に、今度は赤ワインブームとともに再加熱。ここから、2004年ごろまでが、ご質問にあるキャッチコピーなども世間の耳目を賑わせた最盛期です。そして、以降、ボジョレー・ヌーヴォーの日本での地位は、一時期ほどの勢いはないとはいえ、安定したものとなっています。
知っている方も多い話かとおもいますが、日本はボジョレー・ヌーヴォーのフランス国外最大の市場です。ボジョレーでボジョレー・ヌーヴォーとして造られるワインの本数は約2500万本。日本の輸入量はこのうちの約500万本です。ボジョレー・ヌーヴォーがもっとも売れた時期は、ボジョレー・ヌーヴォーの約半分が、日本に輸出された、とも言われています。
収穫の喜びを分かち合うイベント
ここで、話はボジョレーから少し離れますが、日本はワイン造り手から高く評価されている国です。これは筆者が複数のワインの造り手から聞いた話なのですが、日本はたしかに、バブル時代からワインに親しみ始めた、ワインのマーケットとしては、若い国なのですが、すぐに、有名ワイナリーのワインであっても、ちょっと出来の悪い年や銘柄であれば売れ行きが鈍る、という目利きぶりを見せたといいます。これに、ワインの造り手たちは驚き、日本を尊敬したそうです。
こうして、日本でもワインが物珍しいものではなくなり、世界中のいろいろなワインを手軽に手に入れられるようになって、ボジョレー・ヌーヴォーの評価はより冷静で、相対的なものになっていったのだとおもいますが、ただ、ボジョレー・ヌーヴォーは、新しい酒を祝うイベントです。それは収穫の喜びを分かち合う行為なわけですから、話題にしたとしても、それでシロウトとバカにされるようなことはないとおもいます。そして、このイベントは、そもそもはボジョレーのことを知ってほしい、というボジョレーのワイン生産者たちのおもいによるものなので、ヌーヴォー以外のボジョレーが年々注目を集めていることを、知っていただきたいな、と筆者はおもいます。
ボジョレーってどこ?
ちなみに、筆者はここではボジョレーと記述していますが、ボジョレーはフランス語ではBaujolaisと綴り、auとaiのところは、オ、エをちょっとだけ伸ばしたように発音するので、カタカナにした際に、ボジョレ、ボージョレー、など、表記にバリエーションがあります。
さてこのボジョレーというワイン産地がどこにあるかをご存知でしょうか?
ボジョレーはブルゴーニュ地方の一番南のエリアであるマコネーの南にあります。都市でいうと、パリに次ぐフランスの大都市、リヨンの北です。南東には、ローヌというワイン産地もあります。ボジョレーはおよそ南北に55km、東西に15km。ブルゴーニュはとぎれとぎれではありますが、南北に150kmほどの距離があり、くらべるとブルゴーニュにたいしてボジョレーはおよそ3分の1。ブドウの栽培面積も栽培量もおおよそ3分の1です。
ボジョレーVSブルゴーニュ
ブルゴーニュの南とくっついてるボジョレーですが、ブルゴーニュのワインの造り手に、ボジョレーの話題をだすと「ん?ボジョレー? ああ……」というような、あからさまに不愉快そうな反応を返されたことが筆者はあります。ブルゴーニュの生産者はボジョレーを下に見ることがあるようなのです。
ボジョレーで造られるワインはほとんどが赤ワインで、そのワインはガメイというブドウ品種から造られます。この品種はボジョレー原産とされていますが、ブルゴーニュの赤ワインに使われるピノ・ノワールとグエ・ブランというブドウとのあいだにうまれた品種だそうです。
ガメイは多産な品種です。ボジョレー・ヌーヴォーの隆盛期、ボジョレーの生産者には質より量を求めた時代があったことが、ブルゴーニュからボジョレーが見下される一因になっているのかもしれません。
しかし、いまや日本のみならず、世界中でワインが造られ、また飲まれる時代。ボジョレーの造り手たちは、他のワイン産地同様、品質と土地の個性を表現し、高品質なワインを造るようになっています。それを証明するかのように、2009年から2018年にかけて、ボジョレーでは詳細な地質分析がおこなわれ、300を超える個性が、このボジョレーの土地にあることがわかったそうです。
現在、日本でも様々なボジョレーのワインを飲むことができ、ガメイという品種が、個性的なワインが生み出す、面白い品種だと体験することができます。基本的には、あまり重たくも渋くもない赤ワインになりがち、というのも現代の食や味の傾向に合っています。ゆえに、ボジョレーのワイン生産者は、現在のエレガントな赤ワインはボジョレースタイルだ、ともいうのです。そんなわけで、ヌーヴォーではないボジョレーをまだ体験していない方は、ボジョレー・ヌーヴォーを機に、ボジョレーワインを試してみませんか?
シャトー・デ・ジャック
ムーラン・ア・ヴァン
ムーラン・ア・ヴァン(Moulin-à-vent)はボジョレーのなかでも北に位置する産地で、第二次世界大戦前は、ブルゴーニュの名産地とも互角のワイン産地として知られた、歴史ある地域です。このワインは、ブルゴーニュの名門、メゾン・ルイ・ジャドが1996年から所有するボジョレーの名門ワイナリー「シャトー・デ・ジャック」のワインで、ブドウは自然栽培、畑はきめ細やかに管理し、一般的なボジョレーとはちがい、ブルゴーニュ流の醸造方法で醸造し、熟成する、という、とても贅沢な造りがなされています。シャトー・デ・ジャックのワインのなかでは、スタンダードな一本ですが、ボジョレーの潜在能力を引き出したこのワインは、あなたのボジョレー観を変えてくれるかもしれません。
シャトー・デ・ジャック
ボージョレ ブラン クロ・ド・ロワズ
もう一本も同じ造り手から紹介します。こちらは、ボジョレーのなかでもおよそ2%しか造られていないという白ワインです。ブドウはシャルドネで、栽培地のラ・シャペル・ド・ガンシェ村は、ブルゴーニュの南、マコネーに近いところにあります。とはいえ、こちらは、先のワイン同様、ボジョレーのなかでも最高位の産地、ムーラン・ア・ヴァンにほど近く、土壌も、ブルゴーニュとはちがいます。マコネーもシャルドネで有名な産地ですが、ほんの少しの栽培地の差、造り手の哲学の違いが、ワインにダイレクトに反映されるのが、このあたりのワインの面白さ。ブルゴーニュとかボジョレーとかいった区別を気にする人にこそ、飲み比べてみて欲しい一本です。