人口が減少し、経済の停滞に苦しむ日本が持続可能な社会を創っていくためには、経営資源を効率化してイノベーションに取り組む姿勢が欠かせない。企業においても、オープンイノベーションを重視した研究開発拠点の開設が相次いでいる。今回は、日本のイノベーションを取り巻く環境について考察する。
イノベーションの脱・自前主義が迫られる日本企業
イノベーションは企業の競争力に大きく関わるだけに、従来企業が自前主義で取り組んできたのは当然の選択ともいえる。ではなぜ自前主義を捨てなければならないのか。これまでのイノベーション創出の変遷を見ていこう。
エジソンやベルが活躍した1900年代前後では、個人の研究成果を大企業が買い取り、ビジネスに仕立てる流れが一般的だった。しかし、1980年代になると、顧客ニーズの多様化、製品サイクルの短期化、グローバル展開による競争構造の変化により、基礎研究から製品開発までを自社内で行う自前主義では対応しきれなくなった。
そのためアメリカでは急速に自前主義が衰え、イノベーションの場が大企業中心から大学とベンチャー企業中心にシフトしてきた。大学が研究したシーズをベンチャー企業が産業化し、そのなかから見どころがありそうなものを大企業が取り込んで製品化する垂直連携の形態だ。
アメリカの通信大手AT&Tのベル研究所の研究開発機能を継承したセント・テクノロジーは内部資源に依存した結果、シスコシステムズに追い越されてしまった。シスコシステムズはスタートアップへの出資やM&A、協業関係を積極的に築くといった方法で外部資源を活用し、自社内に研究拠点を持たずに新技術の開発やマーケット獲得に成功した。
さらに1990年代以降はインターネットが飛躍的に発展したことにより競争構造が激変する。需要が供給を下回るようになり、製品寿命も短くなり、どんなに良い商品でも共感できるものでなければ買ってもらえなくなった。どのような商品であれば市場を作れるのかが不透明な時代となり、この状況下で商品開発を行うためには、研究開発のコストを抑えつつスピードを高める必要が出てきた。
そのため大企業が同じバリューチェーンの企業や大学・公的機関と組む垂直連携のモデルでは、長期的に利益を出し続けることがいよいよ困難になった。アメリカの経営学者ヘンリー・チェスブローが「オープンイノベーション」を提唱したのもこの時代だ。
オープンイノベーションの特徴は、「シーズを競合他社と共有する」「企業の研究するアイデアを発展させ企業外部に提供する」という点だ。とはいってもすべての技術やノウハウをオープンにするのではなく、コア技術は内部にとどめ、自社のみではビジネスが行えない技術をオープンにするスタンスが求められる。こうして自社の技術を活用して世界で商品化を図り、最終的にはエコシステムを形成していくのがオープンイノベーションの目指す姿だ。
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