江戸幕府はなぜ「泰平の世」を実現できたのか?初代家康から5代綱吉までで考える、政策や体制だけではない理由とは 江戸城の富士見櫓 撮影/西股 総生 (画像1/11) 甲府駅前の武田信玄像。家康が生まれた天文11年、信玄は諏訪地方を併呑した (画像2/11) 岐阜駅前に立つ織田信長像。秀忠が生まれたのは信長の絶頂期だった (画像3/11) 現在の大坂城は、豊臣家の滅亡後に徳川幕府が全面的に再構築したものである (画像4/11) 江戸城天守台。明暦の大火で天守は焼失し、天守台の石垣は築かれたものの天守は再建されなかった (画像5/11) 肥前名護屋城の崩れた石垣 (画像6/11) 巌流島に建つ宮本武蔵と佐々木小次郎の像。決闘が行われたのは1612年(慶長17)のこと (画像7/11) 江戸城本丸の西側の高石垣 (画像8/11) 戦国時代には考えるより先に手が動くタイプの人が多かった。写真は桑名城の本多忠勝像 (画像9/11) 新発田城に建つ中山(堀部)安兵衛の像。安兵衛のような剣豪が尊ばれたのは、侍が実戦経験を失ったからこそでもある (画像10/11) 2022年11月の国際観艦式に集まった各国海軍の艦艇。さいわい平和そうな光景だ (画像11/11) 江戸幕府はなぜ「泰平の世」を実現できたのか?初代家康から5代綱吉までで考える、政策や体制だけではない理由とは この写真の記事を読む