体面を守るだけの、砂上の楼閣のようなコミュニケーションが、組織から現実認識と学習能力を奪う
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『マネジメント』(ダイヤモンド社)をはじめ、2005年に亡くなるまでに、39冊に及ぶ本を著し、多くの日本の経営者に影響を与えた経営学の巨人ドラッカー。本連載ではドラッカー学会共同代表の井坂康志氏が、変化の早い時代にこそ大切にしたいドラッカーが説いた「不易」の思考を、将来の「イノベーション」につなげる視点で解説する。

「言わなくても分かる」という空気が、組織の学びを妨げる――。ドラッカーが指摘した日本型組織の病根と、異論を生かす、あるべきリーダー像とは?

なぜ「失敗」から学べないのか

 かつて旧日本軍は、ミッドウェー海戦での壊滅的な敗北という決定的な失敗から目を背け、組織的な学習を拒んだ。その結果、驚くほど忠実に同じ過ちを繰り返し、取り返しのつかない方向へと進んでいった。

 この痛ましい歴史を分析した名著『失敗の本質』(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎著/中央公論新社)は、半世紀近くを経た現代においても、私たちに重い問いを突きつけ続けている。

 その病根を深く掘り下げていくと、一つの問題に行き着く。それは、日本社会に深く根ざした、特有のコミュニケーション様式である。すなわち、「言わなくても分かるだろう」「はっきり言わずとも察してほしい」という文化である。この「察する」という名の文化が、いかに組織の学習能力を奪い、客観的な現実から目を背けさせ、ついには国家をも誤らせるか。

 組織に勤めた経験のある方なら、誰しも思い当たる節があるはずだ。

 何気ない言葉に込められた警告、言葉にされないまま視線で示される批判、上層部の名前をちらつかせて進められる会議…。これらは言葉にしにくいが、いわゆる「忖度(そんたく)文化」と呼ばれるものだ。

 経営学の巨人ピーター・ドラッカーが意思決定にとって不可欠とした「異論」への耐性。これこそが、この病を克服する鍵であることを、『失敗の本質』の議論に即して見ていきたい。