ラ・トゥールの意外な人柄と最期

 ラ・トゥールとは一体どんな人物だったのでしょうか? 20世紀の再発見に伴い、いろいろな資料も発見され、ラ・トゥールの人格が伝わる記録も出てきました。ロレーヌ公の宮廷に出入りする貴族の借金の証人になっていたり、先に紹介したようにフランス国王側について忠誠を誓っていたりと、それらからは社会的に高い地位を狙っていたことが窺えます。

 息子エティエンヌが父に代わって代父を務めたという1646年の記録には、「国王付きの画家であり貴族のジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名において、貴族のエティエンヌ・ド・ラ・トゥール」とあります。しかし、エティエンヌは父の死後に貴族に叙せられていますが、その時点では父子ともに貴族の爵位を持っていませんでした。

 また、1620年にはロレーヌ公アンリ2世に、貴族である妻の家柄と画家ということを理由に免税特権を願い出たことがわかっています。

 1631年以降、ロレーヌはフランスの属国となり、重税が課されるようになります。1642年の記録には、当時、家畜の数に応じて税金を払うことになっていたのに、ラ・トゥールは、自分は免除されていると主張して徴税人を蹴り、部屋に入ってきたら銃で撃つと脅して追い返したとあります。生涯にわたって金銭に強い執着を見せ、頑なに税の支払いを拒んでいたそうです。

 1962年に発見された《金の支払い》は、身代金か戦時徴収金を支払う場面や、ユダが銀貨30枚を受け取る場面など、さまざまに解釈されていますが、お金に執着があったラ・トゥールが、なぜこの主題を選んだのかも謎となっています。

《金の支払い》油彩・カンヴァス 99×152cm ウクライナ、リヴォフ美術館

 また、弟子との契約書では、その叔父に金銭や夫人用の指輪を要求したうえ、かなりの過重労働を約束させています。弟子を棒で殴って怪我をさせ、その治療費を請求されたという記録もあります。さらに人々が貧困で苦しんでいる時期に貴族のように犬をたくさん飼い、所構わず野ウサギを追いかけたという記録もあり、周囲の人々からかなり嫌われていたようです。

 前ページにある、《聖ヨセフの夢(聖ヨセフの前に現れる天使)》は宗教画の代表作で最も完成度が高いとされる作品です。希望に満ちた子どもと、運命を感受する老人の対比は豊かな詩情と神聖さが感じられます。このような慈愛に満ちた宗教画を多く残した人物と、現実の人物像の大きな差は、なかなか理解し難いのではないでしょうか。

 ラ・トゥールの最期についても記録が残っていました。1652年1月、「15日、妻ディアーヌ・ル・ネール夫人、心臓発作にともなう熱病で死去、30日、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール氏、肋膜炎で死去」という記録があり、妻の後を追うように亡くなったことがわかっています。享年58歳でした。

 次回はラ・トゥールにまつわる謎について解説します。

参考文献:
『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 再発見された神秘の画家』(知の再発見双書121)ジャン=ピエール・キュザン、 ディミトリ・サルモン/著 高橋明也/監修 遠藤ゆかり/翻訳 創元社
『夜の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』ピエール・ローザンベール/監修 ブルーノ・フェルテ/執筆 大野 芳材/翻訳 二玄社
『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展ーー光と闇の世界』(2005年美術展カタログ)高橋明也、読売新聞東京本社文化事業部/編集 読売新聞東京本社
『フランス近世美術叢書V 絵画と表象Ⅱ フォンテーヌブロー・バンケからジョゼフ・ヴェルネへ』大野芳材/監修 田中久美子、平泉千枝、望月典子、伊藤已令、矢野陽子、吉田朋子/著 ありな書房
『フェルメールの光とラ・トゥールの焔ーー「闇」の西洋絵画史』宮下規久朗/著 小学館
『西洋絵画の巨匠11 カラヴァッジョ』宮下規久朗/著 小学館
『もっと知りたい カラヴァッジョ 生涯と作品』宮下規久朗/著 東京美術
『1時間でわかるカラヴァッジョ』宮下規久朗/著 宝島社
『国立西洋美術館名作集 深堀り解説40選』森耕治/著 アマゾン・ジャパン