2018年にミスワイン日本大会準グランプリに輝いた宮坂 佳奈さんはセミナーやイベントにて日本ワインの魅力を発信する活動を続ける存在であり、かつ、おもいが高じて自らワイナリーでワイン造りに参加してしまうような日本ワインラバー。
その宮坂さんは、私の日本酒の先生、利酒師の髙岡麻彩さんと仲良しとのことなのだけれど、このふたりが一緒に「日本ワインにしよう」というサブスクリプションスタートをした、との報を受けて、そのローンチパーティーに参加させてもらった。

日本ワインのエラい人が集結していた
「日本ワインにしよう」のローンチパーティーの会場は東京・池尻のワインレストラン「SETA」だった。ここ、日本ワインのラインナップがかなりスゴいことで有名で、それはオーナーが映画『ウスケボーイズ』(2018年)、『シグナチャー ~日本を世界の銘醸地に~』(2022年)の監督、柿崎ゆうじさんだから。それで行ってみたらいきなり、シグナチャーの主人公・安蔵光弘さんご本人がいた。ホンモノだ。隣には奥様というか、「Cave an」の安蔵正子さんもいる。こりゃエラいところに来てしまった……

振る舞われているワインも注目ラインナップで、私、覚えているだけでも牛久醸造所、せらワイナリー、岩の原葡萄園、シャトージュン、河内ワイン、上ノ国ワイナリー 、秋保ワイナリー……の各種ワインがあり、かつ、このうちの半分以上は造り手さんもいた。もっと言うと、日本ワイン好きで知られるあの俳優さんやあの漫画家さんも来ていた。日本ワイン界隈のスターだらけではないか!

戸川 英夫さん
なんてことを言ってもたぶん多くの人にはわからないとおもう。日本ワイン界隈というのは現状、だいぶ狭い社会だ。もちろん、日本にはすでに500近いワイナリーがあり、ワイン用ブドウの栽培家なんていう人もいるので、日本ワイン関係人口はそれなりに多いとおもうのだけれど、基本的にみんなワイン好き。ワインを飲んでああだこうだ言えるのが何より楽しいのであって、しばらくワインを飲みながら一緒にいれば、だいたい、仲良くなってしまう。それで誰それは知り合いの誰それの知り合いで……みたいな感じでなんとなくつながっていってしまうのだ。かくして日本ワインムラが形成される。

スターというのだって、たいてい、そんなムラで、何かの賞を受賞したとか、何かを発見したとかで、一目置かれている人だ。だから、私はあなたにこのムラに足を踏み入れることをすすめはしない。入れば楽しいけれど。
ただ実例として、ひとりだけ、スターを紹介したい。私にとっては、現在の日本ワインは、このスターの人物像や生き様とオーバーラップする。
その人物は戸川 英夫さんという。1942年、広島市に生まれ。山梨大学卒業後キッコーマンに入社して、キッコーマンが所有する日本ワイン史上で重要な役割を果たしたワイナリー「マンズワイン」の工場長となった。そのあたりでスターなのだけれど、その後「山辺ワイナリー」製造顧問、「安曇野ワイナリー」工場長などを歴任している。
およそ50年、ワインの最前線で活躍した人物なので、人によって戸川さんのイメージは様々だとおもうけれど、私にとって戸川さんは塩尻の「サンサンワイナリー」の人だ。取材を申し込んだのが最初の出会いで、その時はわざわざ休日返上で対応してくれた。
サンサンワイナリーは標高850m前後という、塩尻エリアのワイナリーのなかでも最高峰の標高に位置していて、畑はその目の前の山肌に整然と広がっている。とても美しい畑だ。この畑を望みながら、ワイナリーに隣接するカジュアルなイタリアンレストランで、のんびりとランチを楽しむのはなんとも贅沢な時間。私は塩尻のそばに拠点があるので、何度かお邪魔している。
取材を申し込んだ理由は、戸川さんが日本ワインのスターということもあったのだけれど、2011年、さすがに高齢になって引退を考えていたという段になって、名古屋に本部を置く社会福祉法人サン・ビジョンが「次世代の子供たちに残したい美しい環境を育む社会にやさしいワイナリーをつくる」として塩尻に立ち上げた新興ワイナリー、つまりサンサンワイナリーのゼネラルマネージャーに就任した、というのが気になっていたからだ。
いまでこそ美しいサンサンワイナリーの土地は、その前は荒れ果てた耕作放棄地で、そこにぽつんと寂しくたたずむ廃屋からスタートしたのだと、戸川さんは教えてくれた。
「でも、確信があったんです。ここで、きっといいワインが造れるというね」
戸川さんはやわらかい笑顔でそう言った。2011年がブドウ樹を植えた年。私が戸川さんから話を聞いたのは2019年。戸川さんのワインはそのころすでに「いいワイン」だった。植樹からたった8年たらずでこんなにいいワインができるのか! ととりわけ驚いたのは柿沢というエリアで栽培されたメルロから造られたワインで、このワインからは戸川さんの人柄も感じられた。
また、戸川さんは塩尻の伝統的なブドウでありながらワイン界隈ではあまり評価されていなかったコンコードとナイアガラに光を当てた人物でもあって
「人間が勝手にこのブドウから造るワインはダメだとか決めてはいけない。ここでずーっと生きて、愛されてきたのだから。ちゃんと意味があるんですよ」
と言っていた。何事につけてもそんな考え方をする人のようだった。結局、取材を通じて戸川さんから「ワインとはこういうものである!」みたいな金言は何も聞けなかった。リスペクトして、受け入れる。80年生きて、50年以上ワインを造りつづけて、なお謙虚。戸川さんのワインからも、そんな雰囲気が感じられた。もっと色々なことが知りたい、明日はきっともっと面白いことが起きるはず、とワクワクして真剣に生きている感じ。だから、サンサンワイナリーのワインは、飲むともっと色々なワインを飲んでみたい、もっと知りたい、という気持ちになる。
時は戻って2025年。「日本ワインにしよう」のパーティーで、乾杯時に注がれたワインは、そのサンサンワイナリーの白ワインだった。現在はさすがに戸川さんも引退しているけれど、ここでまた出会うとは! 毎月、日本ワインが届くサブスクリプションサービス「日本ワインにしよう」のローンチにあたって、サンサンワイナリーのワインとは、ぴったりじゃないか。このワインなら、これから毎月ワインが届くのが楽しみになるはず。
サンサンワイナリーの白ワインといえば、それはもうシャルドネでしょう、とおもって味わっていたら、どうやらソーヴィニヨン・ブランだったらしい。ありゃま。そんなワイン造ってたっけ? とおもったら、これ「日本ワインにしよう」限定のワインだそう。
果実が安定している夜中に収穫したソーヴィニヨン・ブランから、ブドウが持つ香りを最大限に引き出し、それを自慢のシャルドネとブレンドしている、とのことだった。日本ワインのソーヴィニヨン・ブランは面白い。土地土地の個性が色濃く現れる上に、すごく色々な表現を受け入れる。このワインは爽やかなだけでなく、ほっこりエレガント。じつにサンサンワイナリーらしかった。名前は「Moments」という。サンサンワイナリーと一緒にこのワインを造った宮坂さんによると、彼女をワインの世界に引き込んだのも戸川さんだったそうで、宮坂さんの地元が塩尻が近いということもあって、ワインだけでなく人生の大先輩と尊敬しているのだとか。それで最初のワインはサンサンワイナリーで、とおもったそう。

「日本ワインにしよう」はそんな感じで、毎月、ここでしか手に入らない限定オリジナルワインが届く。いまからだと5月のワインなので、それは青森県弘前市のイタリアンレストラン「オステリアエノテカ ダ・サスィーノ」の笹森通彰シェフが造ったワイナリー「ファットリア・ダ・サスィーノ」のマルヴァジアから造った「LIBERTA」というワインのようだ。
6月は山梨県勝沼の名門「シャトージュン」、7月は大分県久住の雄大で冷涼な自然を武器にする「久住ワイナリー」とコラボレーション。いったい、どんなワインなんだろう?
今日は日本ワインにしよう!
残念ながら現在、ほとんどの日本ワインのワイナリーは儲かっていない。まぁ造り手にしても、ワインは趣味だから、それはそれでいいという向きもあるのだけれど、個人的にはやっぱりそういうワイナリーが半分以上という状況は、あまり良いとはおもえない。
ビジネスの世界で生き残っていけるだけのタフさをもったワイナリーが業界をリードしていかないと、日本ワインは造り手とその周辺以外は、誰も本気になっていないものになって、それはつまり、別にいつなくなってもいいもの、になってしまうんじゃないかな、と私は考えてしまうのだ。でも、そんなことになったら、これまで日本でワインに人生を捧げてきた人たちは、結局、ムラのスターのまま終わってしまうのであって、例えば戸川さんのような人が、そんな知られざる偉人でいるのは、あんまりいい今日や明日にはおもえないのだ。
月に1本は日本ワインを飲む。日本のワイン好きは、自国のワインに対して、そのくらいはしていいとおもう。いまの日本ワインは色々と面白いし、好きじゃなかったら別の日本ワインを選べばいいだけ。なにせ日本には500ワイナリーもあるから、毎日1本ペースで飲んだって一生飲み尽くせないくらいの豊かさはすでにあるのだ。

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