クリエイターが触ろうとしない「腫れ物」は、本当にアブないのか?
「バッタもん」だけでない。岡本が取り上げるのは商標や著作権、政治や人権問題、多くのクリエイターが腫れ物のように触ろうとしないテーマだ。
「ドザえもん」(1992〜)、「覆面パトカー」(2007〜)、沖縄での米軍関連の事故を交通標識のパロディーにした「落米のおそれあり」(2005)。どれも不敵でストレートでクスリと笑えるのだが‥‥やはりギョッとする。これ、本当に大丈夫なんだろうか?
確かめてみたくて企画した「ディズニー美術」展
「腫れ物」は本当にアブないのか? それを確かめるためにつくった作品もある。著作権管理に厳しいことで知られるディズニーをモチーフにしたグループ展「ディズニー美術」だ。
「本当に『触れちゃダメ』なのか? 消されてもいい(笑)覚悟でやりました。結果は、ディズニー社の社員を名乗る人が展示を見にきて、クレームはありませんでした。アート表現だと認識してもらったんだと思います」
従軍慰安婦をテーマにした自作の解説に、右翼の活動員が納得
炎上が大きな話題となった、あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展」では、岡本は従軍慰安婦「少女像」をモチーフにした作品を出品した。2022年、同展は厳戒な警備のもと京都に巡回展示したが、会場にいた岡本に「作品の意図を教えてほしい」と聞いてきた観客がいた。「実はその方は、右翼団体のトップの方だったんです。僕の作品説明に耳を傾けて、納得して帰られました」
作品は「少女像」の肩に留まった鳥を複製して籠に入れたオブジェだった。激しい論争は「少女」の頭越しに飛び交い、鳥は籠の中で沈黙している。誰も作品の声を聴こうとしない。騒動が、作品から一人歩きしてしまったことへの皮肉が込められている。
この2件に関しては、クリエイターが「アブないから避ける」、観客が「炎上を連想してギョッとしてしまう」は、過剰反応だった。アート関係者やアート好きの観客ほど、この手のネガティブなリアクションを経験値として蓄積しがちでもある。それが「見ざる、聞かざる」、自己検閲、自主規制につながってゆくことは、表現にとって何よりアブない。表現をつくる人、支持する人が自分で自分の首を絞めているようなものだ。これでは、世の中が息苦しいのも無理はない。