今回は、大河ドラマ『光る君へ』において、吉柳咲良が演じる菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ/ドラマでは「ちぐさ」)を取り上げたい。『更級日記』の作者として知られる菅原孝標女(実名は不明)は、どのような人生を送ったのだろうか。
文=鷹橋 忍
『更級日記』とは
『更級日記』は、菅原孝標女の少女時代にはじまり、夫を失くしてから1~2年後までの約40年の人生を、回想して綴った日記文学である。
他にも、『夜半の寝覚』、『浜松中納言物語』などの物語も、菅原孝標女の作品だと考えられている。
菅原孝標女は、寛弘5年(1008)に生まれた。
見上愛が演じる彰子が産んだ敦成親王(後の後一条天皇)と同じ年の生まれである。
紫式部の生年には諸説あるが、仮に天延元年(973)説で計算すると、菅原孝標女は紫式部より、35歳年下となる。
父・孝標は、菅原道真の嫡流で五世の末裔だといわれる。
菅原家は代々、大学頭や文章博士を歴任する、学問の家柄である。
ところが孝標は、長保2年(1000)に蔵人に補せられたが、受領として上総介、常陸介などを歴任するにとどまった。
紫式部の娘との、意外な関係
菅原孝標女の実母・藤原倫寧の娘は、『蜻蛉日記』の作者である、財前直見が演じた道綱母(ドラマでは藤原寧子)の異母妹だ。
つまり菅原孝標女にとって、道綱母は「母方の伯母」にあたる。
だが、菅原孝標女は道綱母より40歳くらい年下と推定されており、道綱母の存命中に菅原孝標女が直接的に影響を受けることはほぼなかったと考えられている(関根慶子『新版 更級日記 全訳注』)。
菅原孝標女には実母の他に、「上総大輔」と呼ばれた歌人の継母がいた。
継母の叔父・高階成章の妻は、南沙良が演じる紫式部の娘・大弐三位(藤原賢子)である。
『源氏物語』の熱烈な愛読者としても知られる菅原孝標女だが、『源氏物語』をはじめ、彼女が物語を愛するようになったのは、この継母の影響だといわれる。