再発見と贋作

 フェルメールが亡くなって20年ほど経った1696年、21点の作品がアムステルダムで売りに出されました。これ以降、ほとんどその存在を忘れられてしまうのですが、1866年、フランス人批評家のトレ=ビュルガーがフェルメールに関する論文を発表したことがきっかけとなり、再び表舞台に出たのでした。注目度が一気に高まり、希少な作品の値段は急騰しました。そんななかで美術史上、最悪の贋作事件が起きます。

 前述したようにフェルメールは《マリアとマルタの家のキリスト》など最初期の物語画数点から、最初の風俗画《取り持ち女》へと一気に転向しました。このことから専門家たちはほかにも物語画を描いているはずだと考えていました。これを利用してハン・ファン・メーヘレンというオランダ人画家は1937年、カラヴァッジョと周辺の画家が好んだ《エマオのキリスト》という主題の絵を描き、フェルメールの真筆だとして売ったのです。

ハン・ファン・メーヘレン《エマオのキリスト》1937年 油彩・カンヴァス 115×127cm ロッテルダム、ボイマンス美術館

 フェルメールの特徴である光の粒まで描き込んであるこの絵は驚くような高値で取引され、オランダの格式あるボイマンス美術館(ロッテルダム)が所蔵しました。また、《キリストと悔恨の女》(1943年)という贋作はナチスの高官ゲーリングの手に渡りました。第二次世界大戦後にハン・ファン・メーヘレン自ら贋作であることを自白します。ナチスを欺いた男としても有名になったハン・ファン・メーヘレンは、これら2作を含む11作ものフェルメールの贋作を描いたのでした。

《手紙を書く女と召使》1670-72年 油彩・カンヴァス 72.2×59.7cm ダブリン、ナショナルギャラリー

 贋作だけでなく、ナイフで乱暴に切り取られて盗まれた《恋文》(1669-71年)、二度の盗難にあった《手紙を書く女と召使》(1670-72年)、テロリストに狙われた《ギターを弾く女》(1673-74年)など、様々な事件が戦後に起こりました。それほど希少な作品には絶大な人気があったのでした。

参考文献:
『フェルメール論 神話解体の試み』小林賴子/著(八坂書房)
『フェルメール作品集』小林賴子/著(東京美術)
『もっと知りたい フェルメール 生涯と作品』小林賴子/著(東京美術)
『西洋絵画の巨匠 (5) フェルメール』尾崎彰宏/著(小学館)
『フェルメール完全ガイド』小林賴子/著(普遊舎)
『フェルメール展2018公式図録』(産経新聞社)
『ネーデルラント美術の魅力 : ヤン・ファン・エイクからフェルメールへ』元木幸一・今井澄子・木川弘美・寺門臨太郎・尾崎彰宏・廣川暁生・青野純子/著(ありな書房)
『西洋絵画の歴史2 バロック・ロココの革新』高階秀爾/監修  高橋裕子/著(小学館)
『1時間でわかるカラヴァッジョ』宮下規久朗/著(宝島社)