イタリアではカラヴァッジョ、スペインではベラスケス、フランスではラ・トゥール、フランドルではルーベンス、オランダではレンブラント、そしてフェルメール……17世紀は美術史に名を残す大画家を輩出した西洋絵画の黄金時代でした。当時、フェルメールは人気画家でしたが、しばらく世間から忘れられ、19世紀に入ってから再発見され人気が再燃します。今回はフェルメールが生きた時代と、生涯を過ごしたデルフトについて紹介します。
文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)
カラヴァッジョの影響が各国に広がる
17世紀オランダを代表する風俗画家・フェルメールを読み解くには、まず、彼が生まれた17世紀の美術界を理解する必要があります。
美術史ではルネサンス、マニエリスムに続く17世紀の美術を「バロック」と呼びます。バロックとはポルトガル語で「歪んだ真珠」を意味する言葉です。整然とした遠近法を用い、幾何学的秩序に基づいたルネサンス期のような構成ではなく、ダイナミックな奥行を感じさせるような構成、ドラマティックな光の捉え方を特徴としています。ルネサンス期の手法からかなり逸脱していたため、否定的な意味でバロックと呼ばれていたのでした。現代では17世紀美術という言い方をすることもあります。
バロック美術最大の特徴である「観る者に強く訴えかけるようなドラマティックな構成」を表現した代表画家が、イタリアのミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(生没年1571-1610年)です。代表作《聖マタイの召命》(1599-1600年)では、光をスポットライトのように効果的に用い、闇とのコントラストでドラマティックな画面を創り出し、一世を風靡します。
カラヴァッジョの様式は大流行し、ローマやナポリでは模倣する者が後をたちませんでした。カラヴァッジョに影響を受けた画家をカラヴァッジェスキといい、スペイン、オランダ、フランスからイタリアに来て明暗法や写実主義といったカラヴァッジョ様式を習得した画家たちは、母国に帰ってこれを普及させます。スペインのベラスケス、フランスのラ・トゥール、オランダのレンブラントもイタリアではなく自国でカラヴァッジェスキの作品に触れ、それぞれの画風を形成しました。
カラヴァッジョをはじめとするバロックの巨匠は別の機会に紹介することにして、今回紹介するフェルメールもカラヴァッジョの影響を受けています。最初期作品《マリアとマルタの家のキリスト》(1654-55年)では、明らかにカラヴァッジョ様式である登場人物を大きく配置した構図とメリハリをつけた明暗技法を用いています。当時の絵画の最高ジャンルであった聖書の物語を描いたこの作品は160×142cmあり、フェルメール作品中、最も大きいものです。
フェルメールの絵の師匠は誰だったのかは記録がないため諸説ありますが、フェルメール研究の第一人者・小林賴子氏は、ハーグで活躍していたクリスティアーン・ファン・カウエンベルフの名を挙げています。カウエンベルフは若い頃にカラヴァッジョ様式の作品を描いていることから、フェルメールにもその影響があることの説明にもなるとしています。