中国・唐から帰国した空海が活動の拠点とした京都・神護寺。空海ゆかりの寺宝をはじめ、文化財の数々を紹介する特別展「神護寺ー空海と真言密教のはじまり」が東京国立博物館にて開幕した。

文=川岸 徹 

第5 章 神護寺の彫刻 展示室内風景

超人と語られる伝説の僧侶

 真言宗の開祖・空海。その人生は数々の伝説に彩られ、神童、天才、超人、スーパースター……と形容されることが多い。かく言う記者も1984年に公開された映画『空海』で描かれた超人のイメージが脳裏に焼き付いている。

 鮮明に覚えているのが、北大路欣也演じる空海が遣唐使の船に乗り込み、大嵐に遭遇するシーン。「お前、僧侶なら嵐が止むように経でも唱えろ」という声に、「この大宇宙は生きている。この風を治めようと思うな、己が風になれ。この雨を止めようと思うな、己が雨になれ」と叫び返す。ちなみに映画の総製作費は12億円。この遣唐使の船をつくるだけで1億円以上が投じられたという。

 映画は史実に基づいて制作されたというが、空海は奈良時代後期の生まれ。正直、どこまでが真実で、どこまでが伝説や脚色なのかはよくわからない。そうした状況を踏まえつつ、現在に伝え語られている空海の人物像と、神護寺との関わりについてざっと紹介しておきたい。

重要文化財 弘法大師像 鎌倉時代・14 世紀 京都・神護寺蔵

 空海は774(宝亀5)年、讃岐国(現在の香川県)に生まれた。幼名は眞魚(まお)。幼い頃から泥で仏像を作り、7歳の時には「我が身を捧げて多くの人々を救いたい」と誓いを立てた。親族に勉学の道を勧められるが仏道を志し、24歳の時に仏教の素晴らしさを伝えるために『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を著す。これは自身が出家し、仏教の道に進む決意を親族へ表明するためのものでもあった。

 修行の中で空海は、老僧より虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)について聞く。これを習得すると、経典のすべてを記憶し、忘れることがなくなるのだという。空海は高知県・室戸岬にある御厨人窟(みくろど)に籠り、虚空蔵求聞持法の習得を目指す。修業を終えた時、空海の口に明星(金星)が飛び込み、空海は悟りを開いたという。

 

空海、中国・唐へ渡る

国宝 金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵) 中国・唐時代 8~9 世紀 京都・教王護国寺(東寺)

 やがて空海は密教に強い関心をもつようになり、804(延暦23)年、31歳にして遣唐使とともに唐へ渡る。中国・唐にて空海は、密教の第7祖である長安青龍寺の恵果和尚に師事。恵果は空海が必要な修行をすでに十分積んでいると判断し、即座に密教の奥義を伝授し始める。その3か月後、空海は「この世の一切を遍く照らす最上の者」を意味する遍照金剛の灌頂名を授かった。いわば“密教の免許皆伝”である。

 空海は唐への留学期間を20年と想定していたが、灌頂を受けたことによりわずか2年で帰国。日本に戻った空海は奈良時代から平安時代に活躍した官僚・和気清麻呂公によって建てられた京都・高雄山寺を拠点に宗教的な活動を開始する。その後、高雄山寺は824(天長元)年、同じく和気清麻呂公が建立した神願寺と合併。新しく誕生したその寺に、空海は「神護国祚真言寺」、略して「神護寺」と命名した。