20世紀後半のベルギーを代表するアーティスト、ジャン=ミッシェル・フォロン。初期のドローイングや水彩画、版画、ポスターなど約230点を紹介する、日本では30年ぶりとなる大回顧展が開幕した。

文=川岸 徹 

《無題》フォロン財団  ©Fondation Folon, ADAGP/PARIS, 2024-2025

ジャン=ミッシェル・フォロンとは?

 ジャン=ミッシェル・フォロンというベルギー人アーティストの名を久しぶりに聞いた。東京での展覧会は1995年にBunkamuraザ・ミュージアムで回顧展が開催されて以来、約30年ぶり。その後もフォロンは精力的な活動を続けたが、2005年に71歳でこの世を去ってしまった。

 1934年、ジャン=ミッシェル・フォロンはベルギーのブリュッセルに生まれた。10代の終わりにベルギーを代表するアーティスト、ルネ・マグリットの壁画《魅せられた領域》に感銘を受け、絵画世界に強く惹きつけられる。1955年にはパリに移住しドローイングの制作に没頭するが、なかなか芽が出なかった。

 そこで状況を打開しようとドローイングをニューヨークの雑誌社に送ったところ、事態が好転。『ホライズン』『エスクァイア』『ザ・ニューヨーカー』『タイム』といった有力誌に作品が掲載され、1960年代初頭にはそれらの雑誌の表紙を飾るようになった。1967年にはタイプライターの世界的メーカー・オリベッティ社(イタリア)のグラフィックデザインを担当。ヴェネツィア・ビエンナーレ(1970年)、サンパウロ・ビエンナーレ(1973年)にはベルギー代表として参加した。

《いつもとちがう(雑誌『ザ・ニューヨーカー』表紙 原画》1976年 フォロン財団 
©Fondation Folon, ADAGP/PARIS, 2024-2025

 こうして世界的アーティストとして名を馳せていったフォロン、実は母国ベルギーよりも、隣国フランスで馴染みが深いという。その理由は、フランスの国営放送「アンテーヌ2」で、1日の初めと終わりに放映されたアニメーション。フランスの音楽家ミシェル・コロンビエ作曲のメロディに合わせて、ジャン=ミッシェル・フォロンが描いた帽子をかぶった男“リトル・ハット・マン”が空を飛び回る。

 このアニメーションがフランスの子供たちに寝る時間を知らせる合図だった。1976年から1983年まで放映されたが、終了後はフランスの母親が「子供が寝つかなくなって困った」と声をそろえたそうだ。

 

リトル・ハット・マンと空想の旅へ

《無題》1968年頃 フォロン財団
©Fondation Folon, ADAGP/PARIS, 2024-2025

 さて、東京ステーションギャラリーで開幕した展覧会「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」。初期のドローイングから水彩画、版画、ポスター、そして晩年の立体作品まで約230点を展示。フォロンの創作活動の全容を網羅した内容で、先に紹介したフランス国営放送「アンテーヌ2」のアニメーションも鑑賞することができる。

 フォロンの作品にはそのアニメーションに出てくる“リトル・ハット・マン”がしばしば登場する。大きくなったり、小さくなったり、時には分身の術を使ったかのように軍団を形成したり。リトル・ハット・マンはあっちにも、こっちにも、どこにでも現れる。まるで神出鬼没、変幻自在な旅人のよう。リトル・ハット・マンは鑑賞を楽しくしてくれるユーモラスな“案内人”といえる存在なのだが、その背後には深いものが潜んでいる。

 都市に迷い込んだリトル・ハット・マン。様々な方角を向いたたくさんの矢印に進むべき道がわからなくなり、林立する高層ビル群の中で自分の姿を見失いそうになる。一見すると幻想的な美しさがあり、詩情を感じるフォロンの作品だが、その裏には現代社会の闇や問題点が暗示されている。現実社会にとまどう姿に、「リトル・ハット・マンは、もしかして私のこと?」と問いかけたくなる。