晩年の作品では飲んだり踊ったりする農民の姿を生き生きと表現したブリューゲル。斬新な構図を用いて無名の民衆を描いたことは、ブリューゲルの大きな特徴のひとつでした。

文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)

《雪中の狩人》1565年 油彩・板 117×162cm ウィーン、美術史美術館

農村を描いた「季節画」にみる世界風景

 ブリューゲルといえば農村風景や、お祭りや結婚式など、農民の風俗を描いた作品を思い起こす人が多いかもしれません。ブリュッセルに移り住んでから、ブリューゲルは度々村に農民の姿で出かけ、お祭りや結婚式に紛れ込んでは彼らのありのままの姿を描いたといわれています。

 1565年にハプスブルク家に仕えた関税官で、裕福な金融業者のニクラース・ヨンゲリンクのために、農村の農作業を描いた風景画の連作「季節画」と呼ばれる6点を制作しました。ちなみにヨンゲリンクはこのほか《バベルの塔》(1563年・1568年頃)や《十字架を担うキリスト》(1564年)など、ブリューゲルの作品16点を所有していたというパトロンです。

 6点のうち薪集めをする農民を描いた早春の《暗い日》、初夏の《干草の収穫》(第1回参照)、盛夏の《穀物の収穫》、放牧から畜舎へ帰る様子を描いた晩秋の《牛群の帰り》、得意とした冬の風景《雪中の狩人》の5点が現存しています。

 中世にもランブール兄弟による《ベリー公のいとも華なる時禱書》のように、月毎の行事が描かれた、キリスト教徒が用いる貴族のための時禱書がありました。しかし、ブリューゲルの「季節画」では貴族は描かれず、農民だけです。どの絵も季節感のある色のトーンが素晴らしく、自然と人間と共鳴している傑作です。

 また「季節画」は、《ネーデルラントの諺》をはじめとする初期の作品に見られた俯瞰的な構図と違って、視点を下げています。そして前景を大きく表現し、遠くの風景までを描くという、パースペクティブ(近くを大きく、遠くを小さく描いて遠近感を表現する技法)を用いています。

 初期フランドルの画家ヨアヒム・パティニール(1480年頃~1524年)の打ち立てた、俯瞰した視点の中に川や山、海、陸となどを描いて世界全体を表した「世界風景」と呼ばれる作品は、空想的な世界でした。

 当初ブリューゲルも版画でパティニールのような風景画を描いていましたが、ブリューゲルの農民に対する愛情や関心が風景と結びついた「季節画」が生まれます。パティニールの空想的な世界とは違う、そこにあるはずのないアルプス風景を描き入れていても、日々目の前で展開しているような現実の風景が表現されています。

《牛群の帰り》1565年 油彩・板 117×159cm ウィーン、美術史美術館

 とくに《牛群の帰り》、《雪中の狩人》に描かれたアルプスの切り立つ山、果てしなく広がるパノラマに季節や農民を入れ込んだ表現こそ、ブリューゲルが確立したこれまでにない新しい世界風景です。そこで描かれるのは神々ではなく、名もない人々です。そこがイタリア絵画とは全く違う点だと思います。ブリューゲルはこのような世界風景の中に聖書の物語を描いた宗教画も残しています。これについては次回紹介します。