「農民ブリューゲル」と称されたブリューゲルですが、じつは宗教を主題とした作品も少なくありません。しかしそれは宗教画の概念を吹き飛ばすような宗教画に見えない作品もあったのでした。

文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)

《バベルの塔(大バベル)》1563年 油彩・板 114×155cm ウィーン、美術史美術館

観る者を圧倒するふたつの《バベルの塔》

 ブリューゲルの代表作《バベルの塔》は3点あったと推定されていますが、現存しているのは2点で、ウィーンの美術史美術館とロッテルダムのボイマンス・ファン・ブーニンゲン美術館が所蔵しています。消失した絵はおそらくイタリア旅行時代に象牙の上に描いた最初の作品だとされています。ウィーンのほうがロッテルダムより2倍くらい大きいため、「大バベル」「小バベル」とも呼ばれています。

 両作品ともイタリア滞在中に見たコロッセウムを塔のモデルにし、アントウェルペン時代に構想を練っていたと考えられていますが、コロッセウムモデル説に異議を唱える研究者もいます。

 当時、アントウェルペンの街の至る所で建設工事が行われていたことから、ブリューゲルがその様子をつぶさに観察して描いたことが窺えます。建築ラッシュのアントウェルペンには最新の技術が集まっていたのです。人力で動くクレーンや回転ドラムなど当時使われていた最新の機材も精密に描かれています。船で資材が運ばれる様子から、料理や洗濯をする人の姿といった建築に関わる人々の生活までミクロに描き、実際の建設現場さながらの臨場感と建築の様子を表現した作品です。

《バベルの塔(小バベル)》1568年以前 油彩・板 59.9×74.6cm ロッテルダム、ボイマンス・ファン・ブーニンゲン美術館

 旧約聖書の「創世記」にあるバベルの塔の記述は、人間が天に達するほどの高い塔を建てようとしたことに神が怒り、それまでひとつだった人間の言葉を混乱させて通じないようにしたため建設工事を中止したという、人間の傲慢に対する戒めの物語です。

 当時のアントウェルペンも国際的な商業都市で、20人にひとりは外国人であったため、『7ヶ国語会話帖』という本が必読書だったそうです。まさに建築ラッシュとさまざまな言語が飛び交うアントウェルペンは、バベルの塔の建設と近い状況だったのかもしれません。

 ではふたつの作品を比較しながら見ていきましょう。塔の建設について、聖書には次のように書かれています。

 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

(「創世記」11:1-11:4 新共同訳 日本聖書協会)

 大バベルでは自然の岩山をベースに、切り出した石とレンガを積み上げていることから、白っぽい塔になっています。小バベルは焼成レンガを使っているため褐色です。塔は大バベルが8階、小バベルが10階まで建築中で、小バベルには雲がかかり、雲より高く建てられています。

 また、大バベルではこれまでの絵画の伝統にならい、塔の発注主であるニムロデ王を画面左下に描いていますが、小バベルでは存在しません。

 ふたつの作品の大きな違いは、塔が建っている場所でしょう。大バベルは都市の街並み風景、小バベルは農村の風景の中に建っています。また地平線が小バベルの方が低くなっていることから、より聳え立っている様子が伝わり、サイズは小さくともより威圧感が感じられます。1400人の人間や家畜まで描いています。

 このふたつの《バベルの塔》で、ブリューゲルはこれまでの宗教画の常識を覆し、細密な表現で観る者を圧倒したのでした。