群衆の中から主役を探せ!
ブリューゲルの宗教画の特徴として、従来は中心に描かれてきた聖人たちがどこにいるかわからない、ということがあります。そのわかりやすい例が《十字架を担うキリスト》(1564年)でしょう。処刑が行われるゴルゴダの丘まで十字架を背負ったキリストがひかれていく場面を、ブリューゲルは大パノラマの中に描きました。
画面右下には北方絵画の伝統的表現である嘆いている聖母マリア、ヨハネ、マグダラのマリアが描かれていますが、多くの兵士や農民、旅人に埋もれて、主役であるキリストがどこにいるか見つかりません。よくよく目を凝らすと場面中央に、十字架の重みに耐えかねて膝をついている姿が見つかります。
ここでも第3回で紹介した「ブリューゲルのマッキア(染み)」が用いられています。馬に乗る兵士たちの赤いマントが「赤い染み」となって画面全体にちりばめられていることで視点が定まらず、キリストを見つけにくくしているのです。
群衆の中に十字架を担うキリストを描くのはいくつか先例がありますが、これほど埋没させたのはこの作品だけです。また画面左側にはエルサレムの町が見え、右側には荒地が続きますが、右奥にはフランドルの農村が描かれています。こういった自然描写もブリューゲルらしい演出です。
《サウロの回心》(1567年)も主役が目立たない作品のひとつです。新約聖書にあるキリスト教弾圧に向かうサウロが神の啓示を受けて失明し落馬する画面ですが、多くの兵士に紛れてほとんど見えません。中央の馬の近くに倒れている顔もよくわからない青い服の男がサウロです。この絵も切り立った山と険しい崖という風景の存在が大きい作品です。
《十字架を担うキリスト》《サウロの回心》に比べれば主役を見つけやすいのが、《ベツレヘムの人口調査》(1566年)です。
ローマ皇帝アウグストゥスによる人口調査が行われ、ヨセフも許嫁のマリアとともにベツレヘムに向かうという聖書にある場面を描いた絵です。マリアはロバに乗り、ヨセフはロバを引いている姿で、画面前景中央に描かれています。
しかしこれもベツレヘムではなく、スケートや雪合戦などする子供たちを描いたフランドルの冬景色です。画面右下で豚を屠殺しているのもこの地方の冬の風物詩です。雪景色を得意とするブリューゲルらしい作品です。
このように諺など寓意を交えた表現や、写実的画風で独自の農民風俗を描き、風景画や宗教画、幻想画にも特異な才能を持った、北方ルネサンスを代表する多才な画家だと思います。ぜひ拡大しながら細かい部分まで味わってみてください。
参考文献:
『ブリューゲルの世界』森洋子/著(新潮社)
『ブリューゲルとネーデルラント絵画の変革者たち』幸福輝/著(東京美術)
『ピーテル・ブリューゲル ロマニズムとの共生』幸福輝/著(ありな書房)
『図説 ブリューゲル 風景と民衆の画家』岡部紘三/著(河出書房新社)『東京藝大で教わる西洋美術の見かた』佐藤直樹/著(世界文化社)
『ブリューゲル(新潮美術文庫8)』宮川淳/著(新潮社)
『ブリューゲルへの招待』小池寿子・廣川暁生/監修(朝日新聞出版)
『芸術新潮』2013年3月号・2017年5月号(新潮社)
『ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝―ボスを超えて―』図録(朝日新聞社)
『ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展公式ガイドブック(AERA Mook)』(朝日新聞出版)
『ブリューゲル展 画家一族150年の系譜』図録(日本テレビ放送網@2018) 他