波の表現を50年かけて模索した
《神奈川沖浪裏》は東海道の宿場・神奈川宿沖合の海景を描いた作品。水しぶきをあげて豪快に立ち上がる巨大な波と、鮮魚を江戸に届けるために荒波の中を突き進む三艘の押送船。自然の猛威の中で、人間はいかにちっぽけで無力な存在なのだろうと思い知らされる。波の合間には、遠く小さく富士の姿が見える。雄大なはずの富士山が小さく描かれることで、波の強さが強調されているようだ。
さらに高く盛り上がった波涛の形だけでなく、鉤爪形をした鋭い波頭も画面に力強さを与えている。ポスト印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホは弟テオに宛てた手紙の中で、この波頭について「この波は爪だ、船がその爪に捕らえられているのを感じる」と記している。北斎が描く波頭がよほど頭に残ったのだろう。
葛飾北斎はこの《神奈川沖浪裏》を1831(天保2)年頃、年齢にして70代の頃に描いた。北斎は数え19歳で役者絵の第一人者である勝川春草に入門している。つまりデビューから50年以上の研鑽を経て、《神奈川沖浪裏》に至った計算だ。
徐々に鋭さを増していく波頭
本展では多様な展示品を通して、北斎が若き日から波に関心をもち、波の表現に少しずつ独自性を発揮するようになっていったことがよくわかる。1791(寛政3)年頃に制作された《三代目瀬川菊之丞》は北斎が「春朗」と名乗っていた頃の役者絵。人物の背景にさかまく波が描かれているが、その波頭は丸みを帯びて柔らかな印象。《神奈川沖浪裏》のような鋭い鉤爪形の波頭はまだ表れていない。
それが1797(寛政9)年、北斎が「宗理」を名乗っていた頃の《『柳の糸』江島春望》では、波が高さを増し、波頭にも鋭さが表れ始めている。1800年代に入ると、鉤爪形の波頭は完成形に近づいていく。1808(文化5)年の《『椿説弓張月』続編 巻一 英雄をねたんで海神節婦義士を溺らす》では波頭が龍の爪のような鋭さをもち、画中に描かれた船に襲いかかっているよう。全体の構図も《神奈川沖浪裏》とよく似ている。
現代アーティストにも影響を与える
約50年におよぶ試行錯誤を経て誕生した《神奈川沖浪裏》。そのインパクトは発表当時から強く、門人はもちろん、同時代の絵師にも多大なる影響を与えた。歌川広重、歌川国芳、月岡芳年。名だたる浮世絵師たちが、画面に大波を配し、《神奈川沖浪裏》の雰囲気を伝える作品を残している。
さらにそのインパクトは今も衰えることがない。《神奈川沖浪裏》の図案は今回の新紙幣をはじめ、切手やパスポートといった公共のデザインに取り入れられている。《神奈川沖浪裏》にインスパイアされた現代アート作品も数知れない。
本展では、《神奈川沖浪裏》の図案を左右反転させてなぜか心に引っかかる不思議な趣を現出させた福田美蘭《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》や、神奈川沖浪裏を太陽フレアの爆発現象に見立てたしりあがり寿《ちょっと可笑しなほぼ冨嶽三十六景 太陽から見た富士山》といった作品が紹介されている。
さらに、《神奈川沖浪裏》をモチーフにしたプロダクトの数々。株式会社メディコム・トイが展開するクマ型ブロックタイプフィギュア「BE@RBRICK」と《神奈川沖浪裏》のコラボモデル。レゴ®認定プロビルダーの三井淳平による《「レゴ®ブロックで作った神奈川沖浪裏」ミニチュアスケール》。パッケージに《神奈川沖浪裏》をあしらった缶ビールやポテトチップスなどもある。
記者が懐かしく感じた展示品は、《永谷園「お茶づけ海苔」東西名画選カード④ 北斎 冨嶽三十六景》。商品に封入されたカードに東西の名画が印刷されており、カード角についた応募券15枚を送るとカードのフルセットが当たるというキャンペーン。「冨嶽三十六景」の図柄は昭和54年から平成9年まで用いられた。
この当選者限定のフルセットが欲しかった。応募券15枚を集めることはかなわなかったが、今回の展覧会でそのフルセットを初めて見ることができて、いたく感激した。「冨嶽三十六景」そして《神奈川沖浪裏》は、庶民の暮らしにも潤いや楽しさを与えてきた国民的名品だ。