大正から昭和にかけて、1600点以上の名所図絵を描いた吉田初三郎。その類まれなるグラフィックセンスを探求する展覧会「Beautiful Japan 吉田初三郎の世界」が府中市美術館で開幕した。

文=川岸 徹 

肉筆画《富士身延鉄道沿線名所鳥瞰図》(部分)昭和3(1928)年 堺市博物館蔵

明治時代に始まったインバウンド振興

 2010年に経済産業省製造産業局にクールジャパン室が開設され、正式にスタートした「クールジャパン戦略」。世界から「クール=かっこいい」と思われる(であろう)日本の魅力を発信し、日本人が海外で稼ぐ力と、インバウンド振興によって国内で稼ぐ力を強化しようとするもの。国内人口の縮小や内需の減少による経済成長の低迷を抜け出すには、理にかなった戦略だ。

 それから10年以上が経過した2024年1月、岸田首相は通常国会の施政方針演説にて「2030年の訪日外国人旅行者数6000万人、消費額15兆円の達成を目指す」との方針を示した。その目標は達成に向けて、順調に動き出している。今年3月に日本を訪れた外国人旅行者数は約308万人。これは1か月あたり過去最多の数だ。また1月から3月までの訪日外国人による消費額も1兆7000億円余りとなり、四半期で過去最高を記録した。

 訪日外国人旅行者の増加にはオーバーツーリズムなどの諸問題も付きまとう。だが、トータルで見ればクールジャパン戦略は着々と成果を出しているといえるだろう。

 さて、そんなクールジャパン戦略は、明治終わりから昭和にかけても存在した。1912(明治45)年、政府は海外からの観光客誘致を目的にジャパン・ツーリスト・ビューローを設立。外貨獲得を目指して、国を挙げての国際観光振興、今日でいうインバウンド振興に取り組み始めた。1930(昭和5)年には鉄道省に国際観光局を設置。日本を訪れた外国人に向けて“乗り物の旅”を提案したのである。

ポスター《Beautiful Japan(駕籠に乗れる美人)》昭和5(1930)年 江戸東京博物館蔵

 国際観光局が1930年に制作した「Beautiful Japan」キャンペーンポスター。富士山を背景に、花びら舞う桜の木。その手前では着物を着た和装美人が駕籠に乗って微笑んでいる。フジヤマ、サクラ、キモノ。現在多くの外国人がもつ日本のパブリックイメージが、Beautiful Japanの標語とともに形成されていった。

 では、この「Beautiful Japan」キャンペーンポスターを制作したのは誰か? 答えは大正から昭和にかけて活躍したグラフィックアーティスト、吉田初三郎。戦前期における日本の観光業の発展は、彼の名前を抜きに語れない。そんな吉田初三郎の全貌を紹介する展覧会「Beautiful Japan 吉田初三郎の世界」が東京・府中市美術館で開幕した。

 

昭和天皇のお眼鏡にかなった吉田初三郎

 1884(明治17)年に京都で生まれた吉田初三郎。画家になることを志し、関西美術院にて洋画家・鹿子木孟郎(かのこぎ・たけしろう)に学ぶ。だが、師である鹿子木に、画壇ではなく商業分野への転身を進められ、グラフィックデザインの道を歩み始めた。

 1913(大正2)年に制作した《京阪電車御案内》。京阪電車の路線図とともに、沿線の名所がアイコンとして描き込まれている。これが、思わぬ展開を見せた。1914(大正3)年に京都男山八幡宮(現・石清水八幡宮)に行啓した当時の皇太子(のちの昭和天皇)の目に留まり、「是れは奇麗で解り易い、東京へ持ち帰って学友に頒ちたい」との言葉を賜ったという。初三郎の運命は決まった。彼は交通と名所の位置関係をわかりやすく、そして美しく描き上げる名所図絵の制作をライフワークとしたのである。

 

初三郎式鳥瞰図が時代を席捲

肉筆画《富士身延鉄道沿線名所鳥瞰図》昭和3(1928)年 堺市博物館蔵

 吉田初三郎が名所図絵の制作に用いた手法が「鳥瞰図」だ。鳥瞰図とは地図製作の技法のひとつで、飛ぶ鳥のように上空から俯瞰する視点で地形を表した図。3次元的な描写が用いられ、建物や地形が立体的に表されるのが特徴だ。

 だが、初三郎は航空写真のように地形を正確に表したわけではない。わかりやすさを重視し、アレンジやデフォルメを施した。まっすぐに伸びる直線的な鉄道、拡大して描かれた重要なモチーフ、広い範囲を湾曲させて収めた構図。実際の風景とは異なるが、位置関係がわかりやすい。さらに画面にメリハリが付いていて眺めているだけでも楽しい気分になってくる。吉田初三郎の鳥瞰図は「初三郎式」の呼び名で親しまれた。

 初三郎は「大正の広重」と呼ばれるほどの超売れっ子になった。鉄道省を筆頭に、鉄道会社、バス会社、船会社、旅館・ホテル、地方自治体、出版社、新聞社……。幅広いジャンルのクライアントからの発注がひっきりなしにやって来た。