20世紀の美術界を揺るがしたイタリア人画家ジョルジョ・デ・キリコ。日本では10年ぶりとなる大回顧展「デ・キリコ展」が東京都美術館にて開幕した。
文=川岸 徹 撮影=JBpress autograph編集部
一世を風靡した形而上絵画とは
1910年の秋晴れの午後、デ・キリコはイタリア・フィレンツェにあるサンタ・クローチェ広場のベンチに座っていた。腸の病気から回復したばかりのデ・キリコが、幾度となく足を運んだ場所。目の前には大理石の噴水や聖堂のファサードなど、見慣れた風景がいつも通りに広がっている。だが、デ・キリコはこの時、あらゆるものを初めて見るかのような不思議な感覚におちいったという。
「同じような経験をしたことがある」という人も多いのではないか。デジャヴ(既視感)とは逆のジャメヴ(未視感)。心理学用語を用いれば、全体のまとまりを認識できなくなるゲシュタルト崩壊と言い表せるかもしれない。
ただ、そうした感覚を味わった時に、「なんだか不思議な気分」で自己完結させてしまうのが普通の人。だが、デ・キリコは違った。彼はこの時の体験をこう回想している。「不思議な感覚におちいった私の脳裏に、絵画の構図が浮かびあがってきた。こうして生まれた作品を、私は『謎』と呼びたいと思う」
イタリアの広場で誕生した『謎』が、のちにデ・キリコ自身によって「形而上絵画」と名付けられる一連の作品になった。本展には《バラ色の塔のあるイタリア広場》が出品されている。
これは1913年に制作した同タイトル作を、1934年頃に再制作したもの。複製をつくることについてデ・キリコは、「より美しい素材とより洗練された技法をもって描かれていること以外、欠点はないでしょう」と記している。
そんな逸話が残る《バラ色の塔のあるイタリア広場》には、形而上絵画のエッセンスが詰め込まれている。歪んだ遠近法、不自然に長く伸びる影、画面全体に漂う不穏で幻想的な空気。デ・キリコは対象を客観的に描いていた従来の西洋絵画の伝統を捨て、自分の主観を前面に押し出している。