青春時代に憧れつつも、どうしても手が届かなかったアノ名品だって、いまなら手が届く…いや、むしろいまだからこそ手を伸ばす価値がある! 自分と等しく年月を重ね、“次代のヴィンテージ”と目されるに至った、ファッション界の人類遺産たちに、いま改めてスポットを当てる。

写真=丸益功紀[BOIL] スタイリング=コダン 文=黒澤正人 編集=名知正登

「ガーメントダイ」を定石まで昇華させた奇才

 世にデザイナーは星の数ほどいれど、こと“革新性”という視点に立ったとき、イタリアの巨匠マッシモ・オスティ以上の才人はいないだろう。理由は明快。誰もが考えもつかなかった天才的アプローチで、ファッションの枠組みをグイグイ押し広げたからだ。

 名前を聞いてピンと来ない方でも、かつて憧れつつも高嶺の花だった「C.P. Company」や「STONE ISLAND」の生みの親と知れば、どれほどの偉人か想像できるはず。惜しむらくも2005年に他界してしまったが、残されたブランドは今なお健在。むしろマッシモ氏が自ら手掛けた作品に至っては、昨今新たなヴィンテージとして、世界中に熱狂的なコレクターを輩出している。

 その経歴を簡単に辿ると、同氏の才能が知られることとなったのは1971年。「Chester Perry」というブランドを立ち上げると、Tシャツやジャケットなどに、なんとコピー機を利用して柄をプリント! シルクスクリーンや4色印刷をはじめ、紙に使用されるのが一般的だった印刷方法を、ファッションに取り入れるという大胆なアイデアで世を驚かせた。

 ただこれはほんの序章。同氏はほどなく、仲間たちとともに自身の代名詞であり、その後のファッション史に革命を起こすこととなった、ある技法を取り入れることとなる。

「ガーメントダイ」。

 これは染色する前の生地を使って衣類を“仕立てた後に”染色を行う手法のこと。事前に染色した生地を使って衣類を仕立てる一般的な服作りの手法とは正反対のものだ。

 ただこの「ガーメントダイ」自体は決して珍しいものではなく、’70年代にはすでに存在していた。マッシモ氏が偉大だったのは、世界で初めて“異なる生地を複数使用して仕立てた衣類”に対してこの手法を採用したことだ。

 これによって染料は同じでも、それぞれの生地によって異なる反応を起こすため、自然発生的にトーン・オン・トーン効果が生じ、誰も見たことがなかった多面性を持つアイテムが誕生。目の肥えた洒落者たちをたちまち魅了していった。今日「ガーメントダイ」がファッション界の定石として浸透しているのは、同氏の功績といっても過言ではないだろう。

 1978年に「Chester Perry」から「C.P. Company」に改名後は、1982年に「STONE ISLAND」を、1993年に「LEFT HAND」を立ち上げるなど、さまざまなブランドを創設しているが、極めて実験的なモノ作りのアプローチは不変。軍用トラックの幌に使われる防水布に着想を得て独自ファブリック「Tela Stella」(テラ ステラ)を開発したのを筆頭に、常に新たな生地の発掘&開発を模索し、染色技法においても変革を繰り返し、無二のアイテムを創作し続けていった。

 類稀な進取の精神をもち、デザイナーのみならず、エンジニアも自称したマッシモ・オスティ。手掛けた服がアートピースとして付加価値がつく理由は、今なお並ぶものがないほど唯一性を持っているからに他ならない。