ボスは北方の細密技法を用いながらリアリズムを超え、とびきりシュールな世界を描きました。その作品をダリやピカソなどシュールレアリズムや現代画家たちが賞賛します。難解なボスの作品のなかでも、最高傑作にして最大の問題作、《快楽の園》(1490-1500年)のスペクタクルな世界を紹介しましょう。

文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)

《快楽の園》1490-1500年 油彩・板 185.8×325.5 cm マドリード、プラド美術館

はじまりはモノクロームの天地創造

《快楽の園》は左右のパネルを開くと高さ185.8cm、幅325.5cmというボス最大の作品です。作品名は、スペイン王の所蔵目録に記されていたものを17世紀以降、使用しているだけで、本来、何のために描かれたのか、何が描かれているのか、いまだに謎です。

 ただ近年、第1回で紹介したフィリップ美公に仕えていた貴族のナッサウ伯ヘンドリック3世への婚礼祝いであったという説が有力視されています。ヘンドリック3世の後、スペイン王フェリペ2世のコレクションとなり、現在、プラド美術館に収蔵されています。

《快楽の園》外扉 1490-1500年 グリザイユ・板 185.8×172.5cm マドリード、プラド美術館

《快楽の園》は、閉じられた扉にグリザイユで描かれた旧約聖書の「天地創造」の場面から始まります。左上に玉座に座っている神がいて、地球を思わせる球体があります。そこで1日目に光と闇を分け、2日目に水と天を分けた後の、陸と植物がつくられるという、「創世記」の3日目の記述に則った場面になっていて、4日目からは開いた内側のパネルへと続きます

 モノクロームで表現された荘厳な天地創造の世界から一転、扉を開けると幻想的な青やピンクの明るい色彩と無数の裸の男女や生物が目に飛び込みます。

 4日目に太陽と月と星、5日目には魚と鳥をつくった後、神は獣と人間をつくります。左パネルのエデンの園には、鳥、魚、獣などさまざまな生物が描かれ、前景には神とアダムとエヴァがいます。アダムの左にはエキゾチックな知恵の木があり、原罪を暗示しています。聖書の記述ではエヴァが創造されるのはアダムの肋骨からですが、ここでは神がエヴァの手を引いてアダムは座っています。最近では、アダムとエヴァの創造ではなく、神が2人を出会わせているところだと解釈されています。

《快楽の園》部分 1490-1500年 油彩・板 マドリード、プラド美術館

 中景には天国の生命の泉があり、不思議な形の有機物のようでもあり無機物のようでもある建物の中にフクロウがいて、上から水が溢れ出ています。泉の右側には知恵の木があり、そのそばの顔の形をした岩から、20世紀のシュールレアリスムの画家ダリがインスピレーションを受け、《記憶の固執》(1931年)の怪物などはそのオマージュされたものだということがわかっています。

《快楽の園》部分 1490-1500年 油彩・板 マドリード、プラド美術館
ダリがインスピレーションを受けた顔の形の岩

 生物に目を向けると、泉の周囲には麒麟や象、一角獣などが水を飲んだり、憩っていたりしますが、アダムとエヴァの前にある穴から出てくる動物たちは争っていたり、獲物に食いついていたりして、楽園風景とは異なっています。この穴は地獄へ続き、堕落へと向かう人間の行く末を暗示させるものという解釈もされています。

《快楽の園》部分 1490-1500年 油彩・板 マドリード、プラド美術館